英語の授業で用いる会話例を生きたものにするために,実際に英語圏で会話が,日常どのようにされているか知りたかった。そこで過去,ニュージーランド1),シアトル(アメリカ)2),ロサンゼルス(同)3),イギリス4)と約4週間ずつホームステイしてきた。1993年にもカナダに3週間ホームステイする機会が得られたので,その概要を報告する。
私はブリティッシュ・コロンビア州のリッチモンド市にホームステイした。州の広さはカナダで3番目で,国土の10%を占め(95万2000k㎡),日本の2.5倍。人口は327万人で,国民の12%が住んでいる。人口密度は3.4人/k㎡(日本は320人/k㎡)。
州庁所在地はビクトリア市。また,カナダ第3の都市バンクーバーを抱えている。
労働構成は第1次産業(鉱業を含む)(5%),製造業(建設業を含む)(18%),輸送(9%),第3次産業(サービス)(68%)で,大多数の人が第3次産業に従事している。生産高の割合は第1次産業(6%),製造業(21%),第3次産業(輸送を含む),(72%)と,ほぼ労働構成に比例している。
面積は133k㎡,人口は13万人。人口密度は977人/k㎡と日本の3倍。バンクーバーから南へ車で30分の所にあり,四方を太平洋とフレイザー川に囲まれた島である。
7月の気温は13~22℃。滞在日数の2/3は曇りや雨で,昼間でもカーディガンやブルゾンが必要。しかし晴れた日は暑くなり,28℃ぐらいになる。緯度(北緯49°)はカラフトよりはるかに高いのに,冬は意外に暖かく0~5℃。カナダ中で最も温暖なので,内陸部からの転入者が多い。私がホームステイしたクリスチュ夫妻も,内陸のサスカチェワン州出身だ。
年間降水量1100mmと世界でも多いため,緑が多い。新興団地にも各家には,背の高い広葉樹が植えてある。住宅街を一歩はずれると,広大な農園や牧場が地平線まで続く。バンクーバーの衛星都市として,いたるところで大規模な住宅団地が開発されている。主要道路はもちろん,住宅街の道路さえ3車線以上(アメリカでは4車線)で,日本に比べ,はるかに広い。
私は,クリスチュ家に3週間お世話になった。テッド*1(57歳)とベバリー*2(54歳)の2人住まい。夫婦とも祖先はドイツ人。テッドは,バンクーバー市のゴルフ店に勤務。大のゴルフ好き。高校時代から始め,今でも週1回はゴルフ場でゴルフをする。プレー料は2000円。日本に比べ破格の値段。日頃の運動のおかげで,血圧は年齢の割に低く,医者から20歳台と言われたとのこと。
ベバリーは教会付属の保育所の先生。ピアノ教師。毎週日曜日の教会礼拝でオルガンを弾き,また,時々頼まれては結婚式に讃美歌を演奏する。彼らはコオギー犬を実の子供のようにかわいがり,夜は寝室に寝かせている。
娘テリー(33歳)は,通算3年,日本に住み,現在,日本で英語の教師をしている。息子ローリス(30歳)はロシア系の人と7年前に結婚。親の家よりも,はるかに大きい家を6年前に新築した。住宅設備の技師。趣味の大工は玄人はだし。ガレージに木工用機器を据え付け,ヨットから立派な書棚まで作っている。
テッドといい,ローリスといい,われわれ日本人に比べて趣味の奥が深い。
朝食はバン(パンの一種)と杏や桃などの果物。祖先がロシアで働いていたドイツ人ということで,夕食にはロシアスープ,ドイツ産のレバーの練ったもの,メキシコのタコスなど国際色豊かな料理が出た。米も時々出た。カナダの各家庭は,アメリカと同様に2つの庭がある。道路に面する表庭は全面芝生で,道路との垣根は作らない。裏庭は隣家との間に目かくしの高いへいを作り,犬をはなす。カナダで私が見たほとんどの家は,この裏庭にパラソル付きのテーブルセットが置いてあった。リッチモンド市は日本よりもはるかに緯度が高く,また,サマータイムを導入していることもあり,日の出は5時,日没は9時である。晴れた日には,ほとんど朝食や夕食をこの裏庭で食べた。午後7時頃は,まだ日も高かったが涼しかった。隣近所の目を気にせず,周囲の物音1つ聞こえない裏庭での夕食は,別天地にいるみたいだった。住宅街がセメントと芝生でおおわれているためか,一日中寝室の窓を開けておいても,ほこりがない。これはニュージーランドでも経験した。また,夜,窓を開けていても虫が入ってこず,蚊もいなかった。
私は,夫妻の年齢の割には非常に丈大なのに驚いた。彼らは平日でも夕食後(8時),ゴルフ,水泳,花火,犬の散歩と,9時,10時まで出歩いた。
クリスチュ家は木造2階建て,築後10年。リッチモンド市内を転々として,この家が3軒目だという。寝室が3つ,台所,食堂,応接間,トイレが3つ,風呂が2つある。平均的な家より若干小さいという。カナダの平均的な家の総面積は144㎡で2300万円。年収の平均(320万円)の7倍。しかし,リッチモンド市の不動産の価格は,カナダでも最高だという。それは,1997年のイギリスから中国への移管をひかえて,近年,香港から中国人がリッチモンド市に続々と移民してくるからだ。たとえ中古住宅でも価格が上昇している。
ベバリーは「不動産の価格があまりにも高くなったので,若いカナダ人は,リッチモンド市には住めなくなった」とこぼしていた。テッドは退職後のことを考えて,今の家を売り,リッチモンド市からはずれたコンドミニアムに移ろうと,ベバリーを連れて,あちらこちらの造成中のコンドミニアムを見て回っている。2世代前の祖先が漁民としてリツチモンドに移住した知り合いの日本人も,「ブリティッシュ・コロンビア州でもリッチモンド市をはずれれば,家も物価も依然安い。田舎へ引っ越すつもりだ」と言った。
カナダの教育制度を図示する(図1)。17歳までの12年間の義務教育は無料である。知り合いの小学校教師は,労働条件が悪くなったと嘆いていた。1つには,英語が話せない移民の子供が多数クラスに入ってきたこと。また,障害者にも平等の教育環境をという母親の権利意識が高まり,身体障害者が,5年前から通常のクラス(1クラス25人)に加わるようになったからだ。
権利意識といえば,ほとんどの市バスには,車椅子用の昇降機が完備しており,実際に私も1人の障害者が,それを使ってバスから降りるところを目撃した。
前述したように,カナダ人の平均年収が320万円と日本人の約半額なので,一概には言えないが,カナダの物価は日本に比べ非常に安い。例えば,ガソリン1リットル51円,映画大人400円,オレンジジュース(100%,295ml)80円。
アメリカとの国境は,リッチモンド市から南へ車で30分の所にある。カナダ人なら運転免許証を見せるだけで簡単に通過できる。アメリカのほうが物価がより安いこともあって,観光も兼ねて買物にアメリカヘ行くことは,日常茶飯事。
アメリカに住むいとこを訪問し,そして,ゴルフをやろうということで,日曜日の昼,ベバリーは私を連れて国境に向かった。その日は三連休の中日ということもあり,片側2車線の高速道路はバカンスの車で,激しい渋滞。炎天下,車にクーラーもなく渋滞の中をノロノロと1時間,ようやく検問所まで後80mの所にたどり着いたが,ベバリーの中古車がオーバヒートしかけて,あえなく引き返してしまった。
土曜日には,クリスチュ家の団地内でガレージセールが行われた。各家ではよく行っているが,団地内でまとまってするのは2年ぶりだという。隣近所6軒が参加した。午前10時から店開き。各家の前庭に机を置き,その上にこまごました物(皿,食器,壁紙,ししゅう)を乗せる。値札は,80円から240円。隣近所から多くの人々が見に来る。クリスチュ家と隣家は,各々車を売りに出したが,隣家の車は売れた。ガレージセールは各家の不用品が売れるだけでなく,団地内の人々の融和に役立っている。
ブリティッシュ・コロンビア州の農家の平均農地は124×104㎡で,日本に比べ非常に広い。牧場主は,ポーランドやオランダからの移民が多かった。
大きな食料品店などで物を買っても,支払い後こちらが要求しないと,レシートをくれないことが多い。銀行でカナダのお金を日本円に両替するよう頼んだとき,銀行員が,私が持参したカナダドルの金額をまったく紙に書かなかったのには,とまどった。
カナダは,木材や鉱物資源(石炭,イオウ,銅)をアメリカや日本に輸出し,工業製品を輸入している。自動車や電化製品を生産する基幹産業がない。そのため失業率が10%と高い。
カナダは消費税が高い。物を買うとその価格の7%を州に,7%を国に,計14%も消費税を払わなければならない。
カナダはアメリカと同様にもともと人種のルツボである。しかし前述したように,近年,中国人が大挙して移住してくると,対立は表面化していないものの,カナタ人の雇用が脅かされないかと,不安がる人もいる。
一般には,あまり知られていないカナダの家庭の日常を知ることができ,幸いだった。今後も機会があれば,諸国にホームステイして,英語の自己研鑽に努めたい。
*1:Ted Krisch
*2:Beveley Krisch
*英文中の_箇所:カナダでよく使われる表現
1) 技能と技術,24.3 (1989) 69.
2) 技能と技術,25.5 (1990) 73.
3) 技能と技術,26.3 (1991) 65.
4) 技能と技術,27.1 (1992) 61.