• リレートーク【2】
  • 高度ポリテクセンター  正木 克典

前号執筆者の馬場清先生とは,私が訓大(現能開大)を卒業して初めて赴任した会津技能開発センター(現ポリテクセンター会津)で,6年間同じ住宅サービス科に所属し,お互いの専門は違うものの指導員として何も知らない私にいろいろと教えていただいた間柄です。

今回リレートークの執筆をお引き受けしたものの何を書こうかと悩んだあげく,私の今日のベースとなった会津での6年間の思い出を私なりに綴らせていただきます。

私は,九州,熊本の出身で,それまで東北とはまったく縁がなく,恥ずかしいことに赴任の内示をいただくまで会津が東北のどの位置にあるのか正確には知りませんでした。見知らぬ地域へ行く期侍と不安の入りまじった気持ちで,磐越西線のディーゼル機関車にゆられて雪の残る会津に赴任したときのことは,今でも忘れられません。

そして,訓大の塑性加工科を卒業して板金・溶接系の科に配属されると思っていた私でしたが,驚いたことに,そのような科も実習場も機器もなく,当然その専門の先生もいらっしゃらない状態でした。よくよく聞いてみると,私の赴任した年の7目から新しく住宅サービス科を作り,その中で新たに板金・溶接の要素が必要となり,私が赴任したようです。

何もないなか,どうしたものかと悩んでいると,馬場先生をはじめ,いろいろな先生方からアドバイスをいただきました。そして,たまたま電気設備科の実習場にアーク溶接機が2台あるのがわかり,それを借りて訓練を始めました。しかし,集塵機がないので,実習場の大扉を開け軒先で行いました。遮光用のついたてがないので,設備科の訓練で使用したと思われる制御ボックスを溶接機の間に置き,ついたての代わりにしたり,溶接用作業台がないので廃材で作ったりと,訓練の環境を整えるのも一苦労でした。また,当の教える私の技量もままならず,とても訓練といえたかどうだか疑わしいものでした。それで,県立の会津高等技術専門校の溶接科に研修に行かせていただきました。溶接科の達崎先生には,大変お世話になりました。そうこうしているうちに,施設整備の予算がつき赴任して2年後,板金・溶接の実習場もできあがり,訓練もやっと順調に進むようになりました。

また,私生活では,磐梯山,猪苗代湖,五色沼,尾瀬など会津の持つ大自然を満喫しました。なかでも,裏磐梯の紅葉の鮮やかさは,非常に印象に残っています。また,南国育ちの私にとって冬の寒さと雪の多さには,ただただ驚くばかりでした。生まれて初めて始めたスキーには,すっかり虜にさせられ,冬場は,休みになるとスキー場へ通う日々を送りました。暖かくなると,テニスを始め非常に健康的な生活を送ることができました。

会津は,私の指導員としての出発地であり,初めての訓練が,たった2台の溶接機からという非常に貴重な経験をさせていただきました。機器がないからといって訓練ができないのではなく,やる気があればなんとかなる。頭で考えているだけでなく,まず実践してみる,ということを実感しました。これが,今日の私のベースとなっているのだと思います。また,このことは,周りにいた方々のアドバイスや協力がなければ,とうていできなかったことだと思います。会津の人々の温かさ,自然の美しさを実感しました。

さて次回は,現在,ポリテクカレッジ岐阜で頑張っていらっしゃる大本豊先生にお願いいたします。大本先生は,訓大のサークルの後輩でもあり,私の2年後に会津へ赴任していらっしゃいました。会津の大自然を満喫した仲間でもあります。

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