• ポリテクカレッジ福山 機械システム系(福山職業能力開発短期大学校) 幾瀬 康史

1.はじめに

現在各地の職業訓練施設では,訓練ニーズの多様化に伴ってさまざまな訓練が実施されている。なかでも情報処理関係のような比較的知的な分野の職種や熟練した作業者に対する職業訓練の要求は,年々高まっている。しかし,これらの職業訓練は,従来から実施されている基本作業を主とした比較的感覚的な職種に対するものと訓練内容や訓練対象についても大きく異なっている。そのため,従来の訓練技法をそのまま適用するには問題があるといえよう。特に従来の実技指導等に用いられていた作業分解票や作業指導票をそのまま適用することは困難であり,新たな訓練技法の開発が望まれている。

さて,作業者の技能が向上してくると,作業中の動作や行動にむだがなくなり,きわめて合理的な方法で作業目的を達成するようになる。作業者の作業目的に対する思考についてみると,熟練の程度によってかなり異なってくる。これは,熟練とそれに伴う思考の形成には密接な関係があること意味し,熟練に際して思考形成が重要な役割を果たすものと考えられる。しかし,従来から行われている訓練方法は,習熟する動作や行動を基調とした訓練方法であり,作業者の思考形成を考慮したものは少ないように思える。そのため,「知的な作業」の職業訓練と「感覚的な作業」の職種の訓練方法は,異なるものとしてとらえられているといってよい。しかしながら,作業者の思考形成の観点から,訓練をとらえるなら,両職種を区別することなく訓練方法を考えることができる。したがって,この方法は,「知的な作業分野の職種に対する職業訓練」や「熟練した作業者の高度な職業訓練」に対しても有効であると考えられる。

この小論では,技能の習熟過程における作業者の思考形成を分析して,思考形成をモデル化し,作業者の技能習熟と思考形成について検討することにしたい。さらに,習熟による思考形成に基づいた訓練方法,訓練プログラムのあり方について若干の提案をしたい。

2.技能の習熟と思考関数

一般に熟練作業者に作業を指示する場合,作業内容の指示はほとんど必要なく,その製品の仕上がり像を提示するだけで,その作業にとって最適と思われる方法が選択され,遂行される。一方未熟練作業者の場合には,作業内容の詳細な説明を必要とし,作業のトラブルは,作業遂行中に生じることが多い。さらに熟練作業者と未熟練作業者の動作や行動の面からみると,熟練作業者と適切な指導を受けた未熟練作業者の基本動作は,基本的には大きな違いはない。しかし,表面的に大きく異なる点は,外段取りや内段取りなどに現れてくる。

これらの両者の相違点から判断すると,熟練作業者は,作業が指示された時点から作業に移るまでに思考の中で作業内容と手順が分解され,作業分解に相当するものができあがっていると考えられる。また,一般に作業の最適な方法を選択するには,作業全体が思考の中でとらえられ,総合的に判断する必要がある。したがって,熟練作業者の場合には,作業前に作業の最適な方法が選択されていることを考えれば,作業目的を達するまでの個々の作業が思考の中でそれぞれ従属し一体化していると考えられる。つまり,作業全体が思考の中でできるだけ少ない関数のようなもので置き換えられていると考えられる。ここでは,作業を行うための一塊の思考を「思考関数」と呼ぶことにする。

以上のことから,1つの見方として,技能習熟過程を思考の中でのそれぞれの作業の従属化(つまり思考関数の形成過程)とみなすことができる。また,熟練によって形成される一体化した大きな思考関数は,思考の中で細かな要素作業の思考関数にも分解できると考えられる。

3.熟練作業者と未熟練作業者の思考関数のモデル化

作業者が技能を習得する過程の思考モデルを検討するために簡単な習熟の事例を図1に示す。図1は,女子の健常児が5歳になるまでの絵の習熟の様子を年齢順に示したものである。図に基づいてモデル化をする場合,身体的な運動機能の上達については,考慮していない。また,幼児の作画技能の上達に伴う思考形成が,工業的な技能の上達に伴う思考形成と類似するものと仮定して思考関数モデルを検討している。

図1
図1
図1
図1

はじめに図中の2歳11ヵ月の絵についてみてみよう。この絵は人を書いたものである。しかし,目,口,鼻の位置関係や大きさはバラバラで,手足が顔から出ている。これらのことからほとんど要素の従属関係はみられない。つまり,目,口,鼻などの描画がそれぞれ独立した作業となり,それぞれを組み合わせたものが結果的に顔を形成していると考えられる。したがって,それぞれの作業に対応した思考を思考関数と置くと未熟練作業者の思考モデルは,図2の(a)のように考えられる。図中のF1(y),F2(y)……は,基本作業を行うための思考関数を示している。また,それぞれの思考関数は互いに独立となり,前作業の思考関数は,次の作業に対する思考関数に影響を与えないことになる。そのため,作業全体を考慮した思考関数ではなく,いま行っている作業またはいまから行おうとする作業のみについての思考関数であると考えられる。また,この段階の作業に対する思考関数は,きわめて単純なものと考えられる。例えば,顔の輪郭の思考関数は,単なる大きな丸であり,目の思考関数は,小さな丸2つからなるものと考えられる。したがって,作業者自身では,いろんな顔を描いたつもりでも,ほとんど同じ顔になってしまう。

図2
図2

一方,4歳11ヵ月の絵については,目や口や鼻は顔に対して位置関係があり,大きさについてもそろっていることがわかる。つまり,目や口や鼻などの各作業が,顔を書くための従属した作業になっているといえる。また,図をみると複数の人物を描いていることから,作業前にどのような顔もしくは人物を描くかが決定され,同時に描くうえでのポイントが抽出され,作業者にとって最適な方法が選択されていると思われる。したがって,顔もしくは人物を描くための思考関数が形成されたといえる。2歳11ヵ月の目,鼻,口などの思考関数は,顔を書くための思考関数の中に組み込まれ,パラメータと考えられる。また,目についてみると2歳11ヵ月の段階では単なる丸であったものが詳細にわたって書かれるようになっていることがわかる。つまり,1つの作業目的に対して,新しい作業が追加され複合作業化しているのである。このことは,思考の面からみると目の構成要素が増加し,目の思考関数が多変数化したと考えられる。以上から熟練作業者の思考関数をモデル化すると図2の(b)のように考えられる。図中のF(y,x1,x2…,z1,z2…)は,熟練作業者が経験によって形成している「人を書くための思考関数」,つまり作業全体を思考できる関数を示している。この思考関数の影響因子は,未熟練作業者の場合より多くなり,かつ同時に思考できるものと考えられる。したがって,作業全体を進めるうえでの最適な方法や行動が導き出されるものと考えられる。

図2
図2

上記の熟練者と未熟練者の思考モデルを比較すると,熟練によって思考関数が結合し拡大した思考関数が形成され,かつ思考関数の多変数化を生じるものといえる。ここで,目,口および鼻など思考関数が結合して顔を書くための思考関数の形成過程,つまり直列に並んだ思考関数の結合を「思考関数の結含」と呼び,目の描画が熟練することにより,単なる丸から複雑な形状に変化した形成過程,つまり並列的に並んだ思考関数の結合を「思考関数の多変数化」と呼ぶことにする。

4.習熟過程と思考関数の形成過程

次に熟練するに従って変化する思考関数を図1の事例をもとに段階的に検討した結果について検討してみよう。図3は,作業者の習熟過程と思考関数の形成過程をモデル化したものを示している。まず,図1の2歳11ヵ月の描画を詳細にみると,顔の輪郭の中に目や口や鼻が描かれているが,目と鼻の位置関係は認められない。つまり,目や鼻の思考関数に顔の輪郭の作図結果が影響しているといえる。また,目および鼻の思考関数は,ほとんど互いに無関係であることがわかる。つまり,この段階では,徐々に前作業の結果が次の作業に影響を与えるようになってきていることから,徐々に思考関数の結合が始まりかけた段階であるといえる。これらの思考関数の変化をモデル化すると図3の第一段階のように考えられる。

図1
図1
図3
図3
図1
図1
図3
図3

次に3歳1ヵ月と3歳5ヵ月の描画をみると顔の輪郭,目,口および鼻などそれぞれの要素の位置関係が認められる。つまり,それぞれの思考関数が従属関係になっているといえる。また,この段階では,作画の対象となるものの大きな特徴をとらえ,種類は少ないものの異なった顔を書き始めていることから,同時にそれぞれの思考関数が一体化して顔を書くための拡大した思考関数が形成されつつあると考えられる。また,この段階では,顔だけでなく体全体を描こうと試みていることから判断して,ある程度口,鼻,目などの要素が結合して拡大した思考関数になると,新たな要素が付加されていくものと考えられる。これらを思考関数を用いてモデル化すると図3の第二段階のように考えられる。

図3
図3

さらに3歳11ヵ月と4歳6ヵ月の描画をみると,頭や洋服など各要素が細部にわたって書かれるようになってきていることがわかる。つまり,各要素の作業が複合した作業で形成され,それぞれの思考関数の変数が増加してきたと考えられる。また,人だけでなく周囲の環境についても描き始めているが,これらの背景はこの年齢においてはどの絵も同様なものであることから,形式的に付加的に描かれたもので人物に対して考慮されたものではないと考えられる。また,顔と体全体の相対関係に着目すると,3歳5ヵ月から4歳6ヵ月の期間であまり変化はなく,顔と体を描くためのそれぞれの思考関数の一体化の傾向は少ない。したがって,この段階での特徴は,思考関数の結合に比べ各思考関数の多変数化が進行するものと思われる。これらを思考関数を用いて表すと図3の第三段階のように示すことができる。

図3
図3

第四段階では,4歳11ヵ月にみられるように,いろんな人を区別して描けるようになってきていることがわかる。つまり,顔や体などの各思考関数が複合化して人を描くための思考関数を形成していることがわかる。

上記の思考関数の形成の考察結果から,初期の段階においては,基本的な要素からなる思考関数が形成すると思考関数の結合が進行し,そしてある程度思考関数の結合がされると新たな思考関数が付加され,再び徐々に思考関数が結合され思考関数が拡大するものと考えられる。つまり,熟練度の低い段階では,思考関数の結合と新しい思考関数の付加とのサイクルの中で,思考関数は拡大するのである。次に,ある程度習熟した段階になると,思考関数の結合と新しい思考関数の付加とのサイクルに思考関数の多変数化が加わり思考関数が拡大するものと考えられる。

5.まとめ

本報告では,技能者の習熟過程における思考形成を思考関数でモデル化し,技能の習熟過程と思考形成の関係を検討した。モデル化は,幼児の絵画の習熟過程の事例をもとに行い,その結果,思考関数の形成は,思考関数の結合,思考関数の多変数化,思考関数の付加の組み合わせによって行われることを見いだした。ここで,幼児の描画の習熟過程と思考関数の形成過程との関係が,一般の職業訓練に当てはまるものとすれば,訓練内容は,思考関数を付加する内容,思考関数を結合する内容および思考関数の多変数化を行う内容に分類される。また,職業訓練の展開は,これらの3つの内容を組み合わせ,より大きな思考関数を形成するようにすればよいことになる。

なお,今回思考関数形成に基づく訓練指導方法や実際の具体的な訓練事例に基づいた検討については行っていない。この点については次報にて行いたいと考えている。最後に,本報告書を書くに当たり,終始ご指導ご鞭撻を賜った職業能力開発大学校指導科森和夫助教授に深く感謝いたします。

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