前号執筆者の大本 豊先生とは,訓大(現能開大)のサークル(サイクリング部)の同期で,日本各地を共に走った仲間であります。
今回のリレートークの件で彼より久しぶりに電話があり,学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきました。彼は,我がサイクリング部の中では比較的まじめな学生だったようで(前々回の正木さんは,もっとまじめでした),多少異質な存在でした(私の方は自転車を少々まじめにやりすぎたようで,人より多く学生をしました)。しかし,不思議と彼とはよく気が合い,合宿の打ち上げのときなど大いに盛り上がったものです(彼は,酒が入るとすぐプッツンします。岐阜短大の方注意してください)。あの頃の仲間から見れば,今私が指導員だなんて冗談としか思えないのではないでしょうか。
しかし,月日は人を変え,ここ平塚技術校で木工を教えるようになり,早いもので丸5年が過ぎました。目分の過去は棚に上げ,ほんと,いい加減なものです。
ところで,最近「技能が軽視されている」と思うことがよくあります。研究や,机の上の仕事の方が偉いような,職人さんは少し下に見られるような傾向が全般的にあるように思われてなりません。また,技能を身につけるのには,どれくらいの時間,経験が必要なのかが理解されていないと思います。これは今に始まったことではないでしようが,せめて行政側の意識,姿勢としては,なくしていかなければいけないと思います。
先日,法隆寺宮大工の西岡常一さんが亡くなられました。本当に惜しい人を失ったと思います。西岡さんは学者嫌いで有名な方で,そのやり取りが,彼の著書『木のいのち 木のこころ 天編』に納められています。この本は,2年ほど前に出版されたので読まれた方も多いかと思いますが,もし,まだ読んでいなければご一読されることをお勧めします。この本と合わせ,西岡さんの弟子,小川三夫さんの著書『同 地編』も技能の伝承の仕方や,大変さ,重要性等,非常に興味深い内容が納められています。
西岡常一さんの技能は引き継がれましたが,失われていく技能も数多くあります。技術革新等で必要なくなった技能もあり,それはしかたのないことですが,必要であるのに伝えていく人がいない,伝えていくシステムがない,というのは,大変さびしいことだと思います。
今後このようなことも含め,公共の能開施設のあり方も変えていかなければいけないのではないかと思います。単純に人気のない科は,廃止していくというのは,安易だと思います。一時期人気がなくともその科の仕事が実社会にあれば,必要性はなくならないと思います。ことに木工は,最近,各地の能開施設から消え,能開大からも消え非常にさびしい思いをしています。木工科のみなさん,これ以上減らさないように頑張りましょう。
さて,次回の登場は,北見高等技術専門学院の小林憲司先生です。彼は,訓大の木工科の後輩であり,サイクリング部で共に汗を流した仲間でもあります。きっと面白い話が聞けるでしよう。