前号に寄稿された佐々木修さんは,私にとりまして訓大(現能開大)に入学して言葉を交わした最初の先輩です。当時,訓大は東京都小平市小川町にあったのですが,そのときの情景は今でも鮮明に覚えています。佐賀県の片田舎(ここは神埼郡といい近くに古墳発掘でちょっぴり有名になった「吉野ヶ里」があります,私もひょっとすると卑弥呼の子孫かもしれません?)の山の中腹から花の東京近郊に出てきたものですから,それはもう緊張した面持ちで「キョロキョロ」「ウロウロ」しながら訓大の構内の併設された学生寮への入寮手続きに行きました。
そのとき,ちょっと薄暗い玄関の奥で受付をされていたのが当時4年生の佐々木修さんだったからです。この出会いから,専攻科は違いましたが空手道部の部活動の後輩としてよく面倒をみていただきました。そのときの空手道部の4年生は9人ほどおられ,かついろいろ特色のある方々ばかりでした。当時は,夢中でついていくしかなかったので辛いこともあったのですが,今から思えば楽しい思い出ばかり作っていただきました。その後,私は縁あって幸い出身地である佐賀県の職業訓練校に電気工事科の指導員として就職することができました。
そして,2~3年後,私が愛知県の岡崎の方に視察に行く機会に恵まれました。そのとき,せっかく愛知まで来たのだから岐阜におられる日下部先輩(佐々木修さんと同期生)にお会いしてから帰ろうと思い電話をしてみました。すると,その日がたまたま日下部さんご本人の結婚式の日で,その新郎側の司会を無二の親友である佐々木さんにお願いしている。だから,今日ここに来るからお前もここに来いとのことでした。卒業後は,勤務地が離れ離れという関係もあってお会いすることができなかったのですが,偶然にもめでたい日に再会することができ,その夜は遅くまで歌あり踊りありの大変楽しいひとときを過ごすことができました。
その後は,年賀状を交換するぐらいでしたが佐々木さんが海外協力の関係でペルーへ赴任されたころ大変偶然ですが再び接点がありました。それが,前回のリレートークの中で紹介のあった真島圀弘さんに話が戻ることになるわけです。人間の運命というか縁というかほんとうに不思議に思います。この方の実家は,私の家から車でほんの5分ぐらいですが,それまではまったく存じ上げませんでした。ところが,佐々木さんと真島先生のお2人は海外協力の関係で同時期に南アメリカのペルーにおられ,偶然に知り合いになられたそうです。それで,私のところにその旨の葉書をペルーからいただきました。今思えばその葉書一枚がきっかけでその後,真島先生とお会いすることができました。そのうえ,真島家の方々とのおつき合いができるようになったわけです。
前回の文中にあるように真島圀弘先生がペルーでなされた業績は本当にすごいものです。それ以上に,私は真島先生にお会いするたびに慈愛あふれる人格と温かい人間性に引かれます。本当に,世の中にこのような人がいるのかなと思うことがしばしばでした。そのことは,あの剛毅な佐々木先輩とて同じ思いでおられたことだろうと拝察いたしました。佐々木先輩のペルーからのお葉書ほんとうにありがとうございました。遅くなりましたが,ここでもう一度お礼申し上げます。
さて次に登場していただくのは,尾崎正人さんです。彼は,佐々木先輩と同じ道産子で私とは訓大電気科の同期生です。しかし,私と違い札幌市出身のいろいろな面で洗練されている訓大には似合わないシティーボーイの印象がありました。学生時代から特にテニスがうまく,英語もなかなかだったという記憶があります。案の定,4年間にわたる海外生活で得意の英語にさらに磨きをかけ,技術指導とテニスを通じての国際交流は尾崎さんをさらに大きくしたようです。国際感覚にあふれた経験談などおもしろいお話が聞けることを期侍しています。