私と前回執筆者の下司さんとの出会いは,8年前の私の訓大(現能開大)入学時にさかのぼります。
愛知県から出てきた私は,相原(相模原市)に風呂なし,くみ取り式トイレ,家賃1万500円のアパートを借りました。
入学式を前日に控え,ブレザーは買ってあったのですが,ネクタイの締め方がわからず,同じアパートの,当時建築科の4年生だった野元さんの部屋を訪ねました。その野元さんがサイクリング部員でした。ところが「自分も入学式以来ネクタイなど締めたことがない」という理由で,結局ネクタイの締め方はわからなかったのですが,代わりにサイクリング部の活動内容について2時間ほど説明を受けました。終わったときには,他の人にネクタイの締め方を聞きにいくには,あまりにも夜が更けていました。
次の日ネクタイをどうしたかは覚えていませんが,こうして私はサイクリング部に入部しました。
そのときの部長が当時3年生の下司さんでした。
初めて部屋を訪れたときは,そこだけ10年ぐらい時間が遅れているような,先輩たちの怪しい雰囲気に「やばいっ」と思いましたが,そこで私はキャンプや自転車の整備の仕方の他に,「旅行や観光とはちょっと違った『旅』」といったようなものを覚え,のめり込みました。
特に下司さんには,その他にもとてもここには書けないような秘芸を,むりやり伝授させられました。さしずめ「芸はいのち 芸のこころ 下司編」といったところでしょうか(前号参照)。
冗談はさておき,こんないつドロップアウトしてもおかしくない私がこともあろうに公務員になったのは,もらろん大学校が訓大だったというのが一番の理由ですが,自分の時間がたくさん持て,好きな物を試作できるのでは,という不埒な考えだったと思います。ところが就職してみると,まったくといっていいほどそんなことはしていません。先日も生徒に「先生は自分で何か作ってみたいとは思わないの?」と聞かれるほど…。
振り返ってみると今までも同じような質問は何度か受けたような記憶があります。今までは,「授業の準備で忙しいから」と思っていましたが,指導員になって3年が過ぎ,少しはできた余裕を,物作りに当てるのではなく,やはり授業準備に当てているのです。次の授業に何かつけ加えることはないか,どうやって生徒の興味を引くか,どこまで詳しくやれば,あるいは整理をすれば生徒が理解しやすいか,などと考えるのが楽しいのです。どうやら物作り以上に生徒を育てるのは楽しいようです。
私が最近知った好きな言葉で,「たとえ明日が世界の終わりでも,ぼくは今日リンゴの種をまくだろう」というのがあります。ヨーロッパのどこかの国の農夫の言葉だったと思います。これが希望を表す言葉なのか,自分の仕事は自信の持てる仕事だ,と言っているのかわかりませんが,私は後者だと思っています。
さて,次回はポリテクセンター和歌山の,草次健一先生にバトンを渡したいと思います。
今,新婚ほやほやの彼とは,風呂のない私が,シャワーを浴びにいっては夜遅くまで怪しい話をした,あやしい仲です。きっとあやしい話をしてくれることでしよう。