アメリカでの話であるが,ある会社の研究所に学術雑誌の出版社から突然電話がかかってきた。その出版社が発行しているジャーナルがどのように利用されているか調べたいとのことであった。研究者の一人が会って話を聞いたところ,このジャーナルのどこをコピーしたかを尋ねられたので,今回のジャーナルには,大変興味ある論文が多かったので8報文コピーをしたと答えた。後日,その出版社から連絡があり,報文の1つはあなたの研究に直接関連しているが,他の7つの報文をコピーしたのは違法であるので告訴するとのことであった。その研究者は他の論文は今後の研究に役だつかもしれないと思ってコピーをしてファイルしたのであった。この出版社は違法コピーのためにジャーナルの購読者が増加しないと考え,このような裁判を起こしたということである。
私が学生の頃は,1ドルが360円であったので外国のジャーナルや単行本が高くて簡単に買えなかった。またコピー機もなかったので,必要なところだけを図書室で書き写したものであった。その頃は外国の有名な学術出版物のヤミのコピー本が市価の十分の一くらいの値段で売られていた。私の指導教授は,その頃アメリカの大学の visiting professor であったので,アメリカに行くたびに日本のヤミのコピー本について取り締まるようにいわれていた。それゆえ研究室の学生はそのようなコピー本は絶対に買わないようにと注意されていたこともあり,私は買ったことがない。最近は円高のお陰で外国の書籍の方が安いくらいになってきたので,その必要もあまりなくなったが。
自分で本を書くようになって,このような知的所有権という意味がはっきりしてきた。仕事の合間や休日を返上して,何年かかけてようやく書き上がった本が,原稿料が安いことはさておき,簡単にコピーされて使われたり,またその構想などをそのまま無断で講演などに利用されたりしていると本当に腹立たしい。
コピー機の普及が仕事の能率をあげることで大いに役だってきたが,一方ではいろいろな問題が起こってきて久しい。最近このような著作権の問題が国際的に取り上げられ,諸外国ではコピー機に一定の割合で著作権料を支払うシステムができあがっているが,国内ではようやく外圧のお陰で?そのようなシステムづくりが進められている。いずれにしても我々日本人は,形のあるものにはお金を払うのが当然だと思っているが,知的所有権(著作権,工業所有権などの無形資産)にはそのような必要性をあまり感じていない人が多いように見受けられる。
昔話であるがアメリカにいるとき,友人の子どもが熱を出したので行きつけの医者に電話で相談して,結局はアスピリンを飲ませた。何日かしてその医者から何十ドルの請求書が来て友人は大変驚いていたが,それは当時からアメリカでは当然のことであったが,今日の日本ではどうであろうか。
パソコンの発達によりインターネットなど国際的な通信が可能となってきて,文書のコピーよりさらに複雑な知的所有権の問題などが起こっているという。これらを規制する法律も必要であるが,国際化時代に,わが国ではもう少し有形の物と同じように無形資産に対して対価を払うという社会教育が必要なのではないだろうか。
おおにし たかはる
1969年 東京大学理学部助教授
1982年 東京工業大学教授
1991年 東京工業大学名誉教授
東京職業能力開発短期大学校校長
1994年 現職