• ポリテクカレッジ福山(福山職業能力開発短期大学校)機械システム系  幾瀬 康史

1.はじめに

前報1)では,機械設計や情報処理などの「知的な作業」の職種と旋盤作業などの比較的「感覚的な作業」の職種の両者を含めた幅広い訓練の進め方として,技術および技能習熟に伴い形成される作業に対する思考に基づいた訓練方法を模索することにした。その試みとして,女子の健常児が5歳になるまでの絵の習熟の様子をもとに技能の習熟に伴う思考形成を分析し,思考形成過程のモデル化を行った。モデル化にあたって,作業者が遂行しようとしている一塊の作業に対する思考を思考関数と置き,その思考関数の変化と作業の習熟の関係を検討した。

その結果,作業者の作業に対する思考形成は,「思考関数の結合」「思考関数の多変数化」および「思考関数の付加」の3つによって行われるものとみなされた。思考関数の結合は,図1に示すように連続する各作業に対する思考関数を直列に結合して拡大した思考関数を形成する過程を意味する。図では,目,鼻,口や顔の輪郭などを描くための各思考関数が習熟に伴って,思考関数が拡大して人の顔を描くための思考関数になる過程が「思考関数の結合」に相当する。次に思考関数の多変数化は,並列の思考関数の結合過程を意味する。つまり作業目的に対し複数の作業手順や方法を見いだすことのできる思考形成を示す。例えば,図1の目の形について複数のものを想像し,選択して描けるようになることに相当する。思考関数の付加は,すでに形成した思考関数に新たに思考関数を追加する過程を意味する。

図1
図1
図1
図1

さらに思考関数の拡大のメカニズムについてみると,習熟が低い段階では,思考関数の結合と新しい思考関数の付加とのサイクルの中で思考関数の拡大が図られる。そして習熟が高くなるにつれて,思考関数の多変数化が加わり,思考関数の結合,多変数化および付加のサイクルの中で思考関数の拡大が図られることが見いだされた。

本報告では,前報の幼児の絵の習熟過程と思考関数の形成との関係を能力開発訓練に適用するため,思考関数の結合,多変数化および付加の各特性と技能習熟との関係を吟味する。さらに思考関数の形成に基づいた能力開発訓練の進め方を若干提案する。

2.思考関数の結合,多変数化および付加

前報の幼児の描画の習熟過程と思考関数の形成の関係を一般の能力開発訓練に当てはめてみると,訓練内容は,「思考関数を付加する内容」「思考関数を結合する内容」および「思考関数の多変数化を行う内容」の3つに分類される。まず思考関数の結合,多変数化および付加のそれぞれの特性および習熟との関係について検討しよう。

2.1 思考関数の結合

図2に思考関数の結合の具体的な例を示す。図は,「コーヒーを入れる」という簡単な事例で,習熟と思考関数の関係を示したものである。習熟度が高くなると,「コーヒーを入れる」ための各作業の思考関数が結合し,しだいに大きな思考関数が形成される。最終的には「コーヒーを入れる」という拡大した思考関数が形成されることになる。大きな思考関数が形成されればされるほど作業全体が見通せるようになり,作業前に作業の問題点やポイントが抽出でき,効率的な作業を行うことができるようになるといえよう。

図2
図2

また,「コーヒーを入れる」という拡大した思考関数が形成されると,作業者は各作業の詳細部まで理解できているが,作業者の思考についてみると,各作業の詳細部まで思考しているかというとそうでないように推測される。例えば,作業者が,大きなプログラムを作る場合,作業者は,作業前に簡単にできると確信するところはほとんど考えずに,作業の問題となる部分やポイントとなる部分を思考していると考えられる。この思考の省略をモデル的に示すと,思考関数の結合前には,Iの入力に対して「A→B→C→D」の思考順序でOという結論を得ていたものが,思考関数が結合して拡大した思考関数になった場合には,Iの入力に対して「A→D」の思考順序でOという結論を得るようになることに相当する。このように思考関数の結合は,思考の簡略化を図るものとも推測される。これによって,大きな作業の場合でもその問題点やポイントの抽出が容易にかつ素早く行われるものと考えられる。しかし,思考の簡略化は,作業者によって異なり,普遍的な論理ではない。また「A→D」は,作業者の習熟で成り立つものであって,作業者の経験や能力開発訓練によって作られるものと考えられる。言い換えれば,思考の簡略化は,作業者が自分の能力の範囲で誤差が少なく,「このように行えばできる」という確信が作り出すものであると考えられる。

次に思考関数の結合は直列的に形成された作業の各作業間の関係を知ることにより形成されることから,思考関数を結合するには,経験的に結合させる方法と理論的に結合させる方法の2つが考えられる。しかし実作業の名工といわれる人々は,技能や技術の理論的背景を十分知らない場合でも習熱度が高いことや,理論を学んだだけでは習熟度は向上しないことから判断すると,経験的な思考関数の結合は,理論的な思考関数の結合に比べ重要であると考えられる。したがって,理論的思考関数の結合は,経験的な結合を促進する役割を示すものと考えられ,必ずしも必要ではないといえる。このことは,実生活をみれば当然のことであるといえよう。

次に思考関数の結合の進め方について考えてみよう。まず,一般に多くの作業手順を同時に指導しても,作業者は,その作業を達成することは困難である。このことを思考の面でみると,多くの思考関数を同時に結合することは困難であることを意味する。そのため未熟練作業者の訓練の展開の中では,作業者が各思考関数を簡単に結合できるように思考関数を少なくしたもので構成されている課題,方法や手段を用いることが望ましいと考えられる。

また,能力開発訓練の現場で一連の作業を指導し,その作業がうまくできるようになり,次にわずかに内容を追加または変更して作業者に行わせてみると,簡単に行ってしまう者とそうでない者とが生じてくることがよくある。このことは,一連の作業の思考関数の結合がうまくできた者とそうでない者との違いとしてみなされる。つまり,作業がうまくできたからといって,その作業の思考関数の結合が,十分形成されているとはいえないことを意味している。したがって,作業の習熟の評価は,できあがった製品だけではなく,その思考関数の形成に目を向ける必要があることを示唆している。

では思考関数の結合を促す基本的な指導法について考えてみよう。主として次のようなものが考えられる。

① 連続する作業を反復練習する方法

反復練習によって入力条件と作業結果の関係を経験的に学ぶことができる。結果的に作業間や作業全体の関係を知ることができ,思考関数の結合が形成される。

② 座学や実験による作業間の理論的指導

作業の理論的背景を知ることにより,作業間の因果関係を学ぶことができるので,思考関数の結合を促進するものといえる。特に,作業そのものでなく作業間の関係が重要である。

③ 作業前の作業工程表やフローチャートの作成

工程表やフローチャートを作成することにより,知的な部分で作業間や作業全体がイメージでき,各作業の思考関数が関係づけられ,思考関数の結合を促進するものといえる。この場合,基本的な思考関数が形成されている必要があるので,ある程度の熟練作業者に向くものと考えられる。

④ 作業分解票による指導法

作業分解票は,直列的な作業形態を示すものであるので,単一作業の思考関数の結合を図るのには有効である。この方法は,未熟練作業者に向く指導法と考えられる。

2.2 思考関数の多変数化

思考関数の多変数化は,作業目的は同じですでに習得した手順や方法とは異なるものを習得することにより形成される。このことにより作業の応用性や条件の変化に適応できる能力などを形成するものと考えられる。また,作業目的は同じで,いろいろな手法が考えられ,作業に最適な方法や手段を選択できる能力を身につけることにもなる。したがって,思考関数の多変数化を行う場合には,新しく付加される方法や手段がどのように作業全体に影響するかが理解できなければならない。そのため,思考関数の多変数化の指導をする場合には,多変数化を行う前の一連の作業の思考関数の結合が十分に形成され,基本作業の全体が理解できていることが重要である。このことを上記の「コーヒーを入れる」という事例で考えると,「美味しくコーヒーを入れる」ことに相当する。つまり,「美味しくコーヒーを入れる」には,工夫や新しい知識などが必要であるが,まず常にある一定の味のコーヒーを入れることができるようになることが必要である。したがって,一定の味のコーヒーを入れる基本作業ができ,その思考関数の結合が十分に行われている必要があると考えられる。

2.3 思考関数の付加

子どもに複数の要素からなる作業を指導する場合,初めから全手順を指導すると作業手順を混同したり,作業要素が間欠したりする。このことは,能力開発訓練の現場でもよく見かけることである。このことを思考関数でみるならば,同時に多数の思考関数を作業者に与えると,思考関数の結合または多変数化が困難になることを意味する。そのために,思考関数の結合ないしは多変数化を進行させるには,思考関数が拡大して,できるだけ少ない思考関数となった場合に,新しい作業つまり思考関数を追加するほうがよいことがわかる。

3.思考関数に基づく能力開発訓練の展開

前報の幼児の描画と思考関数の形成との関係を一般の能力開発訓練に当てはめてみると,能力開発訓練の基本的な訓練の展開手順は,次のように示される。

まず新規の訓練や未熟練作業者の訓練の展開については,図3のように基本的な因子に基づく思考関数の形成→思考関数の結合→思考関数の付加→思考関数の結合→思考関数の付加→思考関数の結合…で示される。ここでこの展開の仕方を「結合サイクル」と呼ぶことにする。このサイクルにより,基本的な一連の作業の各作業の思考関数が徐々に結合して,拡大した思考関数となる。そして全体が把握できるようになるまで行われる。このサイクルは作業からみると基本作業の習得段階に当たる。

図3
図3

次にある程度熟練した段階の訓練の基本的な展開の1つとしては,図4のように思考関数の付加→思考関数の多変数化→思考関数の付加→思考関数の多変数化→…で示される。この場合の「思考関数の付加」は,すでに学んだ作業に並列的な作業の思考関数の付加を示している。つまり作業目的は同じで,すでに学んだ作業と異なる作業の思考関数を示す。さらにこのサイクルを「多変数化サイクル」と呼ぶことにする。このサイクルの中で熟練度は上昇し,同時に「結合サイクル」で拡大した思考関数をさらに拡大するものと考えられる。また「多変数化サイクル」により,作業者が作業目的に対していろいろな作業法を思考し,最適な作業方法を選択できるようになる。次に2つ目の展開として,習得しようとする作業の内容により,上記の「結合サイクル」と「多変数化サイクル」を組み合わせたものが考えられる。そして訓練の指導に当たっては,新しい指導内容とすでに習得されているものとの融合を図り,作業全体との関係を明確にして思考関数の拡大を図っていくことが重要と考えられる。

図4
図4

さらに熟練作業者に対しての基本的な訓練の展開としては,すでに「結合サイクル」と「多変数化サイクル」で形成されている複数の拡大した思考関数を相互に結合しより大きな思考関数に拡大していく方向で進められる。なお,この場合の基本的な結合手順は,前述の「結合サイクル」と「多変数化サイクル」と同様であるが,構成する思考関数の大きさが大きいものとなる。この結合により複数の作業の全体がつかめ,応用力や問題解決能力が身につくものと考えられる。そのためには,訓練内容を熟練度に合わせて思考関数の大きさと変数の数を設定することが重要となる。

以上の思考関数の形成に基づく訓練の進め方を図5の作業手順のモデルで考えてみよう。図では,作業全体がA工程とB工程からなるものとしている。A工程の作業F1→作業F2→作業F3およびB工程の作業G1→作業G2→作業G3の手順は基本的なものを示す。訓練の進め方として,次のように考えられる。

図5
図5
  1. ① 「結合サイクル」によりA工程の基本手順(作業F1→作業F2→作業F3)およびB工程の基本手順(作業G1→作業G2→作業G3)に対応した思考関数を形成する。
  2. ② 「多変数化サイクル」により作業F4と作業F5,および作業G4と作業G5を①で形成された思考関数に組み込み,AおよびB工程の全体を思考できる思考関数を形成する。
  3. ③ ②で形成されたA工程とB工程の思考関数を結合し,作業全体を思考できる思考関数を形成する。

次に,熟練作業者の短期の能力開発セミナーの展開について考えてみよう。この場合,受講生の熟練度は未定であり,熟練度も大きくばらついていると推測される。したがって,受講者によって形成されている思考関数が大きく異なっている。そのため,受講生の中でどのように思考関数の形成がされているかを評価する方法が重要となる。次にその評価をもとに各受講生に応じて思考関数の結合,多変数化および付加のいずれの訓練内容にすべきかを考える必要がある。したがって,熟練作業者の短期の能力開発セミナーの基本的な手順として,r受講生の思考関数の形成の評価」→「各受講生の問題点抽出」→「受講生の思考関数の拡大」が考えられる。

「受講生の思考関数の形成の評価」は,大きく分けると思考関数の結合の評価と多変数化の評価とに分けられる。思考関数の結合の評価は,基本的要素で構成されている課題などを用いるのがよいと考えられる。一方思考関数の多変数化の評価は,複雑で幅広い要素を含みいろいろな方法が考えられる課題が適当であると思われる。評価方法としては,要素作業そのものでなく,要素作業と作業全体また作業と作業の関係に基づくものが適当であると考えられる。例えば,「技能診断クリニック」2)の向上訓練の中で受講生による工程表やフローチャートなどの作成に基づく評価方法は,極めて有効な方法であると考えられる。次に「受講生の思考関数の拡大」は,ピックアップされた問題点に対し,改善の方法だけでなく,その影響と因果関係を明確に指導していく必要がある。このことにより,各受講生の持っている思考関数に組み込みやすくなり,思考関数の拡大につながると考えられる。

4.まとめ

本報告では,技能者の習熟過程における思考形成を思考関数でモデル化し,技能の習熟過程と思考形成の関係を検討した。モデル化は,幼児の絵画の習熟過程の事例をもとに行い,その結果,思考関数の形成は,思考関数の結合,思考関数の多変数化,思考関数の付加の組み合わせによって行われることを見いだした。また,その思考の形成を能力開発訓練に適用し,訓練指導方法の提案を行った。しかし,実際の具体的な訓練事例に基づいた検討はなく,具体性に欠ける部分が多いため,今後その点については検討する。

最後に,本報告書を作成するに当たり,終始ご指導ご鞭達を賜った能開大指導学科森和夫助教授に深く感謝いたします。

〈参考文献〉

  1. 1) 幾瀬康史:思考形成に基づく技能習熟の進め方〈その1〉-思考関数モデルからみた技能習熟過程,技能と技術,Vol.30.4/1995.
  2. 2) 戸田勝也ら:技能診断に基づく溶接技能者の技術力の向上について,職業訓練研究センター調査研究資料,第57号ほか.
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