まいりました。先頃,前号執筆者の小林憲司さん本人から「実はリレートークの原稿を依頼されているんだ」という話をうかがって,小林さんがどんな話を展開されるのかと楽しみにしていたところ,まさか次に私のところへたすきを渡してくるなど思ってもみませんでした。(私事で恐縮ではありますが)結婚式にはるばる北海道から駆けつけて,余興まで披露してくださった小林さんからのお話ゆえ,お断りするわけにはいきませんね。
小林さんは私の大学時代の2年先輩に当たります。日焼けした小柄な体に自転車で鍛えられた足腰,それに少しエキゾチックな風貌という印象は,今も変わらないのではないかと思います。小林さんとは入学当時から知り合い,憤れない学生生活の中いろいろとご指導いただきましたし,夜を明かして相談事にのっていただいたこともありました。また料理の腕も抜群で,よくご馳走になったものです。
小林さんはサイクリング部でも活躍され,自転車で回ったいろいろな旅先でのエピソードをよく聞かせていただきました。ただ私が2年になったとき,小林さんが突然インドへ行くと聞いたときにはさすがに驚きました。インドでのエピソードは,前号で触れられているのかもしれませんが,半年にも及ぶ一人旅の中では,さまざまな経験をなさったのではないでしょうか。そんな小林さんの行動力と体力にはただ感心するばかりです。そういえば,小林さんと二度ほど山へ出かけたことがありますが,山岳部に所属していた私に山の歩き方を教えてくださったのは,なぜか小林さんでした。
現在は北海道で指導員をされている小林さんですが,きっと今頃は北海道の大地を自転車で走り回っておられるのか,あるいはまた異国の地へ想いを馳せ,次の旅行の計画を立てておられるのでしょうか。
大学時代,小林さんと私と一緒に連れ立っていた仲間が,次号登場いただく吉池貴久さんです。
吉池さんと私は大学時代の同期生で,彼は機械,私は建築と,科が違うので講義で一緒になることがほとんどなく,また趣味も性格もまったく違うのに不思議と気が合い,とりとめもない話をしてよく夜を明かしたものです。吉池さんの印象は?というと,趣味のアメフトも伊達ではないと納得させる立派な体格と穏和な顔立ち,たまにはやす髭が結構似合っていたりします。年をとったらきっとあの,カーネル・○ンダースにそっくりな(ごめんなさい),優しそうなおじいさんになるのではないでしょうか。
吉池さんと知り合うきっかけになったのは,大学1年の秋に2人の共通の仲間と一緒に,学園祭で出店した「餅つき」だったと思います。それも出店の準備のときに私が,まだ親しくない彼のバイクをむりやり借り,転んでハンドルを曲げてしまったのが,彼といろいろと話をする発端でした。彼にとって私の第一印象は,「愛車の仇」であったはずです。その後大学4年間で,彼とどこかへ行ったとか,何かをしたという記憶はあまりないのですが,常に私のよき理解者,よきアドバイザーであり,今に至ってもそれは変わりありません。
現在はポリテクカレッジ浜松の講師として頑張っておられる吉池さんですが,次号では指導員1年目の奮闘記が聞けるのでしょうか。とても楽しみです。