前号執筆者の草次健一君とは,能開大の同期として,学科は違いましたがよく一緒にいろんなことをして過ごしました。草次君は長期課程卒業後,一足先に事業団に就職しましたが,私は研究課程へ進学して昨春就職しました。私が研究課程にいる間から現在に至るまで,しばしば連絡をとりあっております。今回のリレートークの執筆をお引き受けしたものの,一体なにを書いたらよいものかと悩みましたが,私の趣味でもあるアメリカンフットボールについて書きたいと思います。
私とアメリカンフットボールとの出会いは高校3年のときでした。大学受験の受験勉強をしているときに,夜中にテレビでやっているのを何となく眺めていたのですが,だんだんとルールがわかってくるにつれ,アメフトに対する興味がわいてきました。しばらくすると,アメリカのプロフットボールリーグの中にひいきのチームもできて,いよいよアメフトにのめり込むようになり,今度は自分でもプレーをしたいと思うようになっていきました。その後能開大に入学したものの,学内にはアメフトのサークルはなく,結局社会人のクラブチームでプレーをしてみることに決めました。雑誌で相模原近辺で活動しているチームを調べ,その代表者の方に連絡を取ったのですが,そのときにすごく緊張したのを覚えています。なにせ全く知らない人と連絡を取るというのがこのときが初めてだったのです。以前にもそういった経験があったのかもしれませんが,必然性のない状況で話をしたのは初めてだったと思います。すごく緊張しましたが,「大学生になったんだなあ」と漠然と感じたのも覚えています。
実際にアメフトをプレーするようになって一番印象に残ったことは,「失敗を恐れるな」ということでした。全くの初心者だった私は,はじめのうちはよくミスを犯しました。当然チームの人たちからは怒られましたが,そのときに「ミスをしたからといってそこで棒立ちになるな。そこから自分のできるプレーを考えろ」と言われたときに衝撃を受けました。それまでは“失敗=もう終わり”と考えていた私にとって,全く違う価値観があることをこのとき知りました。それからは失敗を恐れて肩に力が入ることもなく,“失敗したらそれはそれでいい。常に全力のプレーをしよう”と思えるようになりました。また,このときチームの人たちが私を温かく見守ってくれているのを感じて,それがまた私の励みとなったのを覚えています。
このときの出来事は,私の人生の上で1つの転機になったと思います。それまでの私は必要以上に失敗を恐れるあまり,それが精神的な弱さにつながっていたと思うのです。それが解き放たれたとき,すごく精神的に余裕ができました。この経験は,今でも私の中で精神的支柱となって活き続けています。また,そういった貴重な経験をさせてもらったチームの人たちには感謝してもしきれないほどです。
次回の原稿は,ポリテクカレッジ新潟に勤務されている三木一伯君にお願いしました。三木君とは能開大の産業機械工学科で同期として入学して以来,研究課程を修了するまでの6年間,学生生活を共にしていた友人です。また,アメフトにおきましても同じチームでプレーをしていました(といっても誘ったのは私ですが)。今考えると,充実した学生生活も草次君や三木君といったすばらしい友人に恵まれたおかげなんですね。