第33回技能五輪国際大会はフランスのリヨンにて開催された。日本は28職種に参加,金メダル4個,銀メダル3個,銅メダル1個,敢闘11個を獲得,参加国中金メダルの数では3位というすばらしい成績であった。
私は,技術アドバイザー(オブザーバ)として当大会に参加する機会を得,種々の面で貴重な体験をした。以下,競技の状況と,さらに,訪問したリヨン,パリ,ロンドンなど各地の見聞記を報告する。
技能五輪国際大会は1950年スペインで開催されたのが最初である。
国際的に技能を競うことによって,参加国の職業訓練の振興および技能水準の向上を図ると同時に,青年技能労働者の国際交流と親善を目的とした大会で,わが国は1962年(昭和37年)の第11回大会から参加し,今大会を含めて,23回目の参加である。
この間,第19回大会では千葉で,また第28回大会は大阪で開催している。
最近では,国際大会も回を追うごとに参加国および出場選手の増加がみられ,今日の高度情報化社会に伴う技能の高度化と相まって,各国とも青年技能者の育成に力を注いでいることがわかる。
特に,競技職種の中には高度化に伴って,ハイテク技能ともいえるメカトロニクスをはじめ,CAD製図,CNC工作機械など電子応用知識を必要とする職種もある。
国際大会への参加者は公式役員,選手,エキスパート,オブザーバ団によって構成されている。
第一陣として,公式役員,エキスパート,事務局等を含めて,44名が10月4日に成田空港からリヨンに向けて出発した。
選手団は10月6日に中央職業能力開発協会に集合,労働省,皇太子・同妃両殿下御接見,労働大臣表敬,内閣総理大臣表敬後,都内のホテルにて壮行会を行い,さらに壮行会終了後,選手団とオブザーバの74名は成田空港リーガルホテルに1泊,翌朝,英国航空006便にてロンドン経由,リヨンに向かった。
今大会の出場選手は1994年11月に富山で行われた全国大会の優勝者が派遣されることになっていたため,前々回のオランダ大会と同様,国際大会へ向けての準備には余裕のある大会でもあった。
成田を出発したわれわれは,約14時間の空の旅にてロンドン経由リヨンヘ,目的地リヨンに到着したのは現地時間午後8時30分頃であった。
リヨン空港に到着後,リムジンバスにて約20分,リヨン市内中央のホテル・ホリデーインに向かった。
リヨン市はフランスの古都ともいわれる美しい町である。リヨン空港からリヨン市内に向かう夜景は,ライトアップした建物,運河やブリッジ,そして街路樹が見事に調和したすばらしい町並みであり,パリとは趣の違った風景である。
リヨンは「フランス旅の手引き」に詳しく記載されていない町でもある。しかし,世界の食通たちはリヨンと聞いただけで舌つづみを打つほど,有名な食通の町でもある。
また,この地の絹織物は世界的に有名で,西陣織は,この地で学んだ技術者が京都で,あの,すばらしい西陣織を作ったといわれている。
今でも,織物博物館には世界の織物の中に西陣織がたくさん展示されている。
リヨン市内はローヌ川とソーヌ川に挾まれ,ローヌ川は南プロヴァンス地方に向かって流れている。丘の上にはリヨンノートルダム寺院があり,また古代ローマ時代に作られた屋外劇場跡などがある。
写真1,2はリヨン市内の町並みを示す。
南プロヴァンス地方はリヨンから観光バスにて約3時間,最近,テレビの画面に登場するガルドン川にかかる巨大な水道橋,ポン・デュ・ガールがある。
壮大な三重橋は古代ローマ人が生みだした最高傑作の1つとされ,約2000年後の今も雄大な姿を見せてくれる。
ポン・デュ・ガールから約25km離れたところには,アヴィニヨンの町があり,ここには14世紀,ローマ法皇庁がローマから,この地に法王庁を移した城もある。
周囲4kmの城壁に囲まれた内側には市庁舎や劇場,民家が当時のままの姿で残されている。建物を部分的にながめると古い建物で,よくこんな家に住めるものかと感心するが,城全体の雄大な建物を見ると一度は住んでみたい気持ちになるのが不思議である。
また,アヴィニヨンはわれわれが小さい頃歌った「アヴィニヨンの橋の上で輪になって踊ろう……」の歌詞でも知られている土地でもある。
写真3,4はポン・デュ・ガールとアヴィニヨンの町並みを示す。
モンブランはリヨンからバスで約2時間,スイスのジュネーブには約1時間,フランスとスイス,イタリアの国境沿いにある標高4807m,ヨーロッパで最も高い山である。幸い,天候にめぐまれ,モンブランの雄大さを,シャモニーの町からはっきりと見ることができた。シーズンオフではあるが,ケーブルカーと展望台へのエレベータは運転されていた。
このため,われわれは標高3842mの最も高い展望台まで登ることができた。展望台から見る景色は言葉を発するのを忘れるほど,すばらしいもので,このときのカメラを覗く目はプロのカメラマンのような気分で,シャッターを押し続けた。写真5はモンブランとシャモニーの町並みを示す。
パリはリヨンからTGV(フランスの新幹線)で約2時間である。すでに,2回訪れたことがあるため,なんとなく懐かしく感じた。ルーブル美術館,ヴェルサイユ宮殿,ノートルダム寺院,シャンゼリゼ通りは何度行っても,新鮮な感動を受ける。
これは,古い建物と近代的なセンスのフランス人による調和がもたらしてくれているのだろう。
なお,パリ市内はリヨンと同様,爆弾テロが多発している関係上,至る所にポリスや軍隊が警備に当たっている。特に地下鉄の入口は厳重な警戒が敷かれている。このため,観光気分は多少削がれてしまう。写真6はジュネーブの花時計前でのものである。
ロンドンはパリからユーロスターで約2時間である。ユーロスターは約50kmのドーバ海峡を20分程度の所要時間で海底を通過する。
ドーバ海峡に入る前,フランスの国境警備員がパスポートを審査,これが,われわれのフランスからの出国した証明となる。
さらにドーバ海峡を渡ると間もなく,イギリスの国境警備員が,パスポート審査に現れた。すなわち,これがイギリスヘの入国審査である。
ロンドンは,パリに比べてやや暗い感じである。町並みも,リヨンのような美しさはなく,初めてロンドンの地を踏んだ私にとって,パリ以上の美しさを想像していたものとはだいぶ異なっていた。
しかし,大英博物館やウインザー城,ウエストミンスター寺院などは大変すばらしいものであった。
特に,ウインザー城内の宝物はヴェルサイユ宮殿とは比較にならないほど,見応えがあった。
写真7はロンドン市内の町並みを示す。
競技は,われわれオブザーバが宿泊したリヨン市内の中心から地下鉄で5つ目ボナベイ駅で下車,さらに,シャトルバスで約20分のリヨン市郊外のユーロエキスポ競技会場で行われた。会場の回りは畑やグリーンベルトで囲まれた美しいところである。咋日までは,この会場の一部でモーターショーが開催されていたようである。写真8,9は競技会場を視察するシラク大統領とテレビスタジオを示す。われわれはこの会場へ競技期間(4日間)中,すべて地下鉄とシャトルバスを利用した。
競技は全職種とも4日間(20~24時間)の課題で行われた。私の関係したコマーシャル・ワイヤリング(電工職種)は22時間で競技が行われた。
課題はイギリスが提案した課題が採用された。図1,2は課題の一部を示す。
内容的には比較的やさしい回路であるが,作業板に石膏ボードが使用されたため選手にとっては大変な作業となった。
電灯回路は自動点滅器と3路スイッチ3個および切替えスイッチによる電灯3灯の点滅回路である。
切替えスイッチを自動側にしたとき,自動点滅器がマスタスイッチの役割を果たし,自動点滅器が作動中は3路スイッチS1,S2,S3によって,ランプL1,L2,L3が点滅可能となる。当然自動点滅器が不動作中はS1,S2,S3のいずれを操作しても,ランプL1,L2,L3は点灯することができない。
切替えスイッチを手動側にしたときは,自動点滅器の作動に関係なく,3路スイッチS1,S2,S3を操作することによって,ランプL1,L2,L3の点滅が可能となる回路である。
動力回路は暖房設備を想定した回路で,スタートボタンを押すことによって電磁開閉器kalとタイマリレーkatが励磁する。kalの励磁によって,バーナ用のKM2が動作する。その後,タイマリレーkatの設定時間が経過すると,ポンプ用の電磁開閉器KM1が励磁する。バーナ用の電磁開閉器KM2はルーム内のサーモスタットによってON-OFF制御が行われる。
なお,ポンプ回路およびバーナ回路に異常が生じたときは,KM1およびKM2が消磁し,ポンプおよびバーナが停止する。同時に異常を表示するランプH4またはH5が点灯する。
なお,表示灯H1,H2,H3は電源表示およびポンプ,バーナの動作表示を示す。
今大会ではダクト工事が多く,また,作業板には厚い石膏ボードが使用されたため,作業的には大変な課題である。
課題の説明および材料・工具の点検,さらに,主要機器の取り扱い説明後,直ちに競技が開始された。
選手は回路図の解読と作業手順の決定後,作業板への墨出し作業が行われた。国によっては部分的な墨出しごとに器具の取り付けを行う国もあり,作業手順はさまざまである。特に目についた選手は,日本,韓国,ブラジル,台湾,スイスであった。また,アイルランドの選手はかわいらしい女性であった。
競技中の2~3日目にかけて,チーフエキスパートであるスイスおよび副エキスパートのノルウェー,ブラジルのエキスパートを除いた,各国のエキスパートが見当たらない。どうやら次回のスイス大会に関する問題点の検討が別室で行われているようであった。選手からの質問は前述の3人が対応するようであるが,通訳のいない選手にとって,質問をしたくても,ちゅうちょせざるを得ない状況でもあり,競技中の運営方法にも疑問を感じた。
3日目ともなると,午前8時頃から午後の6時頃までで,ほとんど立ち通しのため,われわれの足の裏も相当痛くなった。何ぶんにも広大な会場と高校生や中学生,そして一般見学者で毎日満員となり,休憩する場所がきわめて少なく,一日中,立ち通しとなるため大変である。
毎日,祈るような気持ちで応援した日本選手も,落ち着いた作業で順調に作品を仕上げ,無事制限時間内に完了した。制限時間内に完了した選手は参加選手20名中,約半数で,作品のできばえは他国と比較しても一目瞭然で,日本選手の作品が最もすばらしい作品に見えた。日本選手の様子を写真10,11に示す。
前回大会で知り合ったイギリスやノルウェー,ニュージーランドのエキスパートが私に近づいて,日本の作品が最高であると言ってくれ,我々もメダルヘの期待を強くした。
4日目の競技終了後,直ちに採点が行われたようである。採点は各国のエキスパートが,グループに分かれ,採点項目に従って分担したようである。
結果的には日本にかなり厳しい判定があったようであるが,操作に問題がなければ金メダルは間違いない得点であった。しかし,切替えスイッチの手動停止,自動側の位置の単純なミスが誤配線と判断され,大きな減点となった。これは,パネル図と複線図との違いから,複線図によって配線したためである。回路的には全く問題はなく,誤配線とするにはあまりにも厳しい採点であるが,やむをえない結果といえよう。
今大会のコマーシャル・ワイヤリング職種では,金メダルは韓国とリヒテンシュタインに与えられた。韓国は途中まで器具の取り付け位置のミス等があり,ボードにはドリルの穴が残った。しかし,終了時にはボードの穴はチョークの粉やスプレーによって,上手に消してあった。これも技能の1つとして考えればやむをえない。また,リヒテンシュタインは制限時間内に完了せず未完成であった。ただし採点では,未完成部分が採点項目になかったため減点されず金メダルとなった。日本では考えられない結果である。
前大会で問題として指摘した競技時間の再々延長は改善されたが,未完成作品の採点方法に問題が残った。この項目についても日本はすでに指摘していたが残念である。写真12,13は閉会式の模様である。
今大会を含めた技能五輪国際大会での活躍する国々を見ると,韓国をはじめ台湾など,高度の経済成長を遂げている国が多い。
このことは,産業の基盤となる青年技能者の育成が重要であるともいえ,それぞれの国では本大会にかける意欲は並々ならぬものがある。
特に,メダルを獲得するためには,エキスパートの果たす役割の重要性と技術的にサポートする者の役割が重要といえる。
また,これらの者が継続して参加することによって,欧米諸国の技能のポイントを見極めることも可能となる。
この経験をもとに,さらに,国内大会の充実と,国際大会においても十分に対応できる選手の育成に努力したいと考えている。
このような,貴重な体験を与えてくれた当大学校および中央職業能力開発協会,(株)トーエネックの関係者に謝意を表す。