• 職業能力開発大学校建築工学科助教授  渡辺 光良

大震災より1年,各機関から震災調査結果に基づいた防災的な街・住まい造りの提案がされ始めた。6,308名の犠牲者の多くは建物の下敷きあるいは火災により貴重な人命を失った(表1参照)。筆者は補強組積造建築研究の立場から「防災を中心に置いた街造りや住まい造り」について提案したい。

表1
表1

補強組積造は,ユニット(石・れんが・コンクリートブロックなどの総称)を積むと同時に,鉄筋で補強しコンクリートを詰めて一体化した壁体を持つ耐火建築物である(写真1)。大正時代からの鉄筋ブロック造とか,終戦後米国から導入された補強コンクリートブロック造,補強れんが造などである。鉄筋ブロック造は,鉄筋コンクリート造を建設する際の仮枠を必要とせずに施工できるため,合板型枠を必要としないエコロジー建築構法として注目されている。ユニットの原材料は,砂・砂利・石および粘土などであり地球そのもの,無尽蔵にどこにでもある。これを使えば自然環境をいたずらに破壊することもなく,新建材のように人体に悪影響を及ぼすこともない健康的なエコロジー建築ができる。

写真1
写真1

筆者らは地震直後から激震地に建つ補強組積造の全数調査を開始し,今までに約600棟の建物を調査した。その結果,補強組積造は1棟の崩壊・倒壊もなく非常に耐震的であることが判明した(写真2)。組積造は,明治初期に西洋諸国から導入され,濃尾地震や関東大地震などで大被害を受け,耐震性のない建築構法としてわが国では造られなくなった。ところが,関東大地震時にすでに鉄筋ブロック造つまり補強組積造が少数ではあるが造られており,大震災に見舞われたが軽微の被害ですみ,震災・戦災に耐え73年の歴史を刻み今でも東京の一隅で共同住宅として活用されている(写真3)。また神戸市須磨区に建つ須磨教会は大正12年竣工の古い鉄筋ブロック造である。周辺の新しい建物は大被害を受けたものが多い中,小被害に終わり地域の避難救援施設としてて立派に使命を果たし,今でも幼稚園兼教会として使われている(図1)。このように補強組積造は,わが国でも時代を超越した防災建築として存在していることが判明した。このことは「災害に強い街造り・住まい造り」を考えるうえで非常に大きな意味を持つと考える。

図1
図1
写真2
写真2

補強組積造はわが国では珍しい建築構法であるが,世界的にみればこの方が主流である。耐久性が優れ,数百年の寿命を持つため先祖代々使われている(写真4)。一方,わが国では100年前の建築は文化財を除いては皆無に等しい。戦後50年,都市の木造住宅は平均2回は建て替えられ,最初はバラック,そして本建築,再建築。まさに住宅政策の貧困を反映している。その結果,弱者である高齢者に多くの犠牲者がでた。その理由は木造建築の固有の劣性因子つまり蟻害・腐朽問題,延焼火災問題,木造住宅の伝統的な住まい方を捨て,保守・保全を捨てた問題などが原因で耐震性が極端に低下したところへの地震である。高温多湿の街中に木造住宅を認め,延焼のおそれのある部分は防火モルタル塗。これでは蟻害・腐朽を促進する(写真5)。市民は街中の危険一杯の場所に,なぜ木造住宅を求めるのか理解できない。推測するに「安全で安心な住まい」は,安くできないとあきらめの境地かとも受け取れる。

写真5
写真5
写真4
写真4

「防災」は建物を造る施主の責任である。私たち専門家はそれをアドバイスするアドバイザーにしかすぎない。お施主さんは街中に可燃建築を造ることの恐ろしさをよく理解してもらいたい。火災発生地域の震災犠牲者の比率は飛び抜けて多い。崩れ落ちた建物に閉じこめられ焼死。生きながらにして焼かれた苦悶は想像を絶する。犠牲者の魂を懇ろに弔うには,二度と再びこのような街造りをしてはいけない。そのことをよく理解し,再建には不燃建築または耐火建築にすることを強く要望する。

補強組積造は伝統的な石造・れんが造と同等の耐久性を有し,耐震性は震災で実証済み,耐火性,耐水性など防災上あらゆる性能に優れ,なお,無尽蔵にある原材料で造られる。なぜこんなにすばらしい建築構法がわが国に根づかないのか不思議である。建築防災の原点は,「災害に強い街造り・住まい造り」をお施主さん1人ひとりが着実に実行する,から始まることを肝に銘じてもらいたい。

写真3
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