1994年12月より,日本国政府とインドネシア共和国政府は,身体障害者の社会復帰を目的とした「職業リハビリテーションシステムの開発」に関する技術協力を,社会省直轄機関「国立ソロ身体障害者リハビリテーションセンター」(以下,「ソロセンター」という)で展開している。プロジェクトが開始され1年半を経過した。このプロジェクトの概要について報告したい。
ソロセンターは,ジャワ島の中央部,歌で名高い「ブガワン・ソロ(ソロ河の意)」の観光名所スラカルタ市に所在し,正式には「The National Rehabilitation Centre for The Physically Handicapped Persons “Prof. Dr. Soeharso” Surakaruta」という。その名の示すとおり,故スハルソ博士が中心となって,1946年,オランダとの独立戦争で負傷した戦士のために義肢義足を試作したのが,センターの始まりである。
1954年,インドネシア社会省直轄機関「国立身体障害者リハビリテーションセンター」となり,身体障害者リハビリテーションの発祥の地として現在に至っている。
現在は技能訓練(訓練期間:6ヵ月,訓練職種:モータバイク修理,ラジオ・テレビ修理,美容,写真修理,木工,印刷,紳士服・婦人服縫製等18職種,定員:240名)を中心に,医療ならびに学校教育施設まで備えたインドネシアの総合リハビリテーションセンター施設として,身体障害者にさまざまなサービスを提供している。
しかし,ソロセンターが提供するサービスは社会リハビリテーションが中心で,一般企業への就職等は困難な内容である。技能訓練も自営を目標にした訓練レベルで,近年のインドネシアの経済発展に伴う技術革新のニーズに応えるには難しい状況にある。
ソロセンター入所者の障害は,疾病や外傷による下肢障害が大半を占めている。日本の障害者職業訓練施設では,脊椎・頸椎損傷,脳性麻痺,疾病や外傷による脳障害等,障害の重度化が問題となっているが,インドネシアでは上記障害は職業リハビリテーションサービスの対象ではない。
日本のような雇用率や助成金制度等の援助施策もなく,健常者でも就職の難しいインドネシアにあっては,職業面からみて軽度な障害者の援助からスタートし,重度障害者への対応は今後の課題とせざるをえない。
障害の原因も,疾病の予防や医療対策の遅れに起因する障害がきわめて多い。受傷の際,適切な医療を受けられなかったためと思われる障害,義手・義足の装着が少ないこと,特に日本では撲滅されたといわれるポリオによる障害の多さには慄然とする。
インドネシア政府はこのような状況を改善すべく,職業指導・評価および職業訓練を一貫して行う「職業リハビリテーションシステム」(以下,「職リハシステム」という)の開発に関する技術協力を日本政府に要請した。数年の検討期間を経て,日本の援助が次の計画で実施されることとなった。
上記の計画に従い,第一段階のパイロットプロジェクトがソロセンターで開始され,1年半を経過した。現在は専門家の派遣(リーダー,調整員,職業指導・評価専門家,コンピュータ専門家,縫製専門家),供与機材の整備(職業指導・評価,コンピュータ,縫製関係機材)を終え,技術協力も軌道に乗ったところである。
また,職業訓練を受講している第1期生の大半は,ポリオによる下肢障害者である。職業リハビリテーションサービスと並行して,障害の予防,医療の充実が望まれるところである。
プロジェクトの協力期間が3年間であり,実質2サイクルの訓練しか実施し得ないので,試行,修正のうえ,第3年次でカリキュラムおよび教材等を完成することにしている。
中部および東部ジャワ州の主要都市(ソロ,ジョグジャカルタ,スマラン,スラバヤ等)の市場調査を実施し,ソロセンターおよび社会省の要望等を検討して,訓練目標およびカリキュラム試行案を設定した。
コンピュータは,企業の一般事務部門への就職を目標に,国内で多用されているアプリケーションソフト(ワードスター,ワードパーフェクト,ロータス,データベース等)の操作を中心に,OSや基礎的なプログラムの知識を組み込んだカリキュラム試行案を作成した。
縫製は,縫製工場での就職を目標に,動力ミシン操作を中心にしたカリキュラム試行案を作成した。
両科とも到達目標を高く設定するよりも,訓練後半を就業先企業の実態に合わせて,個別指導できるようカリキュラムの弾力化に配慮した。
訓練時間は50分を1時限として1000時間以上,訓練期間は10ヵ月,前後1ヵ月を職業評価および就職援助期間に配分した。
訓練生は中部ジャワ州を中心に社会省地方事務所を通じて,次の基準で募集した。
年齢は19から30歳までの若年者,学力は,コンピュータについては高卒以上,縫製については中卒以上,障害は重複障害のない肢体障害者,ただし原則として上肢に重い障害のないことを条件とした。
コンピュータ20名,縫製15名の応募があり,約1ヵ月の職業評価を経て,コンピュータ10名,縫製10名(第2期生からは,コンピュータ20名,縫製20名の定員枠となる)の訓練生を選考した。
第1期生の訓練は1995年9月より開始し,現在訓練は後半に入り,職場実習や就職活動を計画している。
供与機材納入の遅れ,カウンターパートへの技術指導が訓練生指導と並行して実施されたための時間的制約等,多々問題はあったが,訓練はほぼ計画どおり進捗した。これには社会省をはじめとして個々のカウンターパートに至るまで,インドネシア側スタッフの協力に負うところが大きい。プロジェクトに対する関心が高く,協力体制が円滑に進んだことに起因する。訓練生も,障害,学力,健康等,特に大きな問題もなく,受講態度も積極的である。
今後は訓練生の職場実習等を通じて企業との連携を強め,就業先に合わせた個別訓練を予定している。
本年9月より開始される第2期生の訓練は,第1期生の訓練計画を踏まえて,カリキュラムを改善する計画である。
訓練結果の良否は,第1期生の就業状況や定着状況等からフィードバックされることから現時点での判断は難しいが,大幅な変更の必要はないと考える。
訓練生の雇用確保のために,労働省や経営者団体等の地方組織と連携を図っているが,日本の職業安定所のようなきめ細かな職業情報を得ることはできない。企業との直接交渉が有効なことも多く,職業指導部門のスタッフは精力的に企業訪問を実施している。このような結果,職場実習の受け入れや障害者雇用を検討する企業も出始めているが,就職については依然厳しい状況にある。
海外での技術協力は,言語というコミュニケーション能力という問題もさることながら,専門家はその国の文化や習慣,国民性の相違等さまざまな問題に遭遇する。赴任後の2~3ヵ月は専門家自身がその国に適応するだけで精一杯,半年を過ぎる頃,その国の文化の輪郭がぼんやり見えてくる。1年を過ぎると,その国の豊かさも見えてくる。同時に海外での技術協力の面白さも見えてくる。
日本の仕事社会でも人間関係が優先されることが多いが,インドネシアにおいてはより顕著である。
あるインドネシア人スタッフは言う。
「インドネシアでは,人間関係がうまくいくことが,仕事がうまくいくことである。仕事がうまくいっても,人間関係に亀裂が生じたら,仕事がうまくいったとは評価されない」と。
技術移転は相手あっての技術移転であり,相手の意欲と積極性が技術移転の成否を握っている。一定の人間関係ができれば,仕事は後についてくる。カウンターパートも専門家の意図することを理解し,専門家もカウンターパートのニーズを容易に把握できる。しかし,いったん人間関係が壊れると,仕事の流れも簡単に壊れる。そんなときは仕事の流れを修復するより,人間関係の修復に目を向けたほうが回復が早い。
カウンターパートとの人間関係も,日常の技術指導の過程においてでなく,企業訪問や施設見学,短期専門家の招聘等,日常業務を離れた別の機会により深まった感がある。
カウンターパートは専門家の技術指導に対し,新しい技術には,非常に熱心で意欲的である。日本的な方式で指導しても,積極的に技術を吸収しようという姿勢がうかがわれる。一方で,インドネシアの既存の技術やシステムに対しては,非常に保守的である。カウンターパートの既存の技術を改善する方法で指導を進めると,なかなか取り組もうとしない。既存の技術やシステムを変えることには強い抵抗がある。技術協力は新しい技術を導入し,新しいシステムを作るという方向を提示したほうがより円滑に進む。
パイロットプロジェクトの目的は,「職リハシステムの開発」である。新しいシステムを開発し構築することにより,既存のシステムの改善がなされれば,技術協力の波及効果といえよう。
開発途上国において,障害と貧困は同意語である。障害者が自立できる社会は,すべての者にとって豊かな社会でもある。障害者の職業リハビリテーションに関するJICAプロジェクトは,タイ国に続いてインドネシアが2例目である。今後は他の開発途上国からも,この部門の協力要請は増加すると思われる。ソロのパイロットプロジェクト終了後も,チビノンの「国立職業リハビリテーションセンター」でプロジェクト方式の援助が5年間継続される予定である。
障害者の職業リハビリテーションという海外技術協力に,1人でも多くの方が関心を持ち,この仕事に携わっていただければ幸いである。