概要 日本企業が終身雇用制度を重視することは,雇用を安定させ,労働者に不安を与えず,ものづくりに専念できる。それは企業の生産性を高め,競争力をつけることになる。その生産性をより高めるのはまさしく能力開発である。その中でも地域の能力開発事業は地場産業からのデータを収集し,現実とかみ合ったものでなければ,雇用制度改革に応じた能力開発は運営できない。さらに従来の職業訓練に対する一般通念や大衆理念を変えて行くには,能力開発を誰に働きかけ,どのように作用するのかを明らかにし,あらゆる角度から能力開発事業を積極的に推進することが,能力開発施設が地域社会に受け入れられる活路と考える。
本文は岡山県の能力開発事業を紹介する中で,能力開発事業はこれを推進する人間がこの事業を大きく左右させることについて述べ,地域の中小企業から実践教育のノウハウを学び,中小企業のボトルネックを支援することの重要性を説く。
テレビで日本企業の年功序列,終身雇用の慣行が崩れ始めているという報道をよく見る。1994年の大手企業の意見調査の結果では41%もの経営者が,終身雇用制度の抜本的な改造を必要としている。バブル経済崩壊後,特にホワイトカラー層の失業がマスコミに報じられたが,その5人に1人の割合で中間管理職が人員削減の対象となっている。製造業で働くブルーカラーだけではなく,企業の聖域であるホワイトカラーも労働移動を余儀なくされた。日本は高度成長時代からの富を土地や株に投資したつけが回ってきたようだ。
確かに,日本は幾度かの不況を乗り越えてきた。特に1986年の円高不況においては,造船業界が多くのブルーカラーの労働者を解雇または他企業へ追いやったことは真新しい。当時,大学を卒業し,大手重工業に勤めていた私は,熟練した技能労働者が労働組合へ積立金を清算するために工場内で長蛇の列をなしていたことを思い出す。そのときの労働者は自動車や,家電,輸送および金融サービス業に労働移動を行い,社内では数ヵ月の職種転換教育後,航空機などのハイテク分野に配置転換した。
だが今回の平成不況では自動車産業等の製造業を始め,金融機関までの全産業がリストラを行い,同一業種においても製品の付加価値の差から企業間格差が目立った。日本企業の空洞化は,大手企業だけでなく関連の中小企業も海外進出を余儀なくされている。この平成不況は日本企業に先行き不透明な経営状態を引き起こすとともに,もはや以前ほどの右肩上がりの成長が期待できなくなっている。このままでは終身雇用制度も維持できなくなり,従業員の企業へ対する集団意識が薄れ,個人と個人との競争が激化し,アメリカ式の能力主義による雇用体系を導入することになるのであろうか。
しかし,日本の企業が,戦後50年間の不利な条件を克服し,世界的にもその名を誇るまでに成長してきたのは,まさしく終身雇用制度によるところが大きい。高度成長時代における技術革新の波を乗り越えて,つぎからつぎへと技術吸収できたのはまさしくこの制度があればこそ可能にしたのだ。終身雇用制度は日本人を企業という集団意識の中で,失業の恐怖心を持つことなく,新しい技術に対しても安心して対応し,積極的な姿勢で対処できる素地を育てた。この制度が成り立っていればこそ,大手企業におけるOJT教育の体系も完成されたのである。
雇用促進事業団が行う能力開発事業はまさしくこの終身雇用を前提に計画される。高度成長時代における技能資格制度やブルーカラー層の職種転換教育は,少品種多量生産時代の大企業の繁栄に応じた事業ともいえた。しかし,今後は終身雇用制度下の古き良き時代の郷愁から,間違った理想像を描いて,単に高度な人材開発事業を実施すればよいとはいかない。地域の労働市場からのデータを収集し,現実とかみ合ったものにしなければ,雇用制度改革に応じた能力開発事業は運営できない。企業規模にかかわらず多品種少量生産に応じた開発型の企業が求められている現在では,能力開発事業も多様で,柔軟な姿勢が不可欠である。ましてや従来の職業訓練に対する一般通念や大衆理解を変えて行くには,能力開発事業を誰に働きかけ,どのように作用するのかを明らかにし,あらゆる角度からこの事業を積極的に推進することが,地域社会に受け入れられる活路と考える。
労働省所管の特殊法人である雇用促進事業団が打ち立てた能力開発事業は,行政指導の中でも促進的・助成的な職業指導を行う。行政指導の定義に「行政指導とは,行政機関が,その所掌事務に属することから,特定の個人,公私の法人,団体等に非権力的・任意的手段を持って働きかけ,相手方の同意または協力の下に,行政機関がかくありたいと望む一定の秩序の形成をめざして,これらのものを誘導する一連の作用をさすものである。」(「現代法:行政指導」成田頼明著,岩波書店)と書かれている。つまり,個人的にも一般対象では対象がぼけていてはダメといっている。また特定の在職労働者に能力開発事業を働きかけるにも,職業指導全般の相談援助という消極的な行政指導でなく,その効果および成果を市場にて問う積極的な姿勢が必要である。だが,能力開発事業は助成的な行政指導であり,強制的な作用は全くない。
大手企業の能力開発事業は高度なOJT教育に示される。それは新入社員教育に始まり,新人技術研修,中堅技術研修,技能検定研修,実務研修,管理職研修,そして定年前の退職者研修等が終身雇用を前提に計画されている。私も大手重工業メーカに勤めていた頃,立派な研修所で技術研修および実務研修,語学研修等を泊まり込みで受講した。研修後は報告書の作成,発表,そして上司からの個人評価と技術的スキルを問われる以上に組織人としてどうあるべきかについて学び,あらゆる角度から試された。
これら大手のOJT教育を中小企業が独自で行うだけの組織的,経済的な企業体力はないであろう。中小企業の労働力は大手よりも流動的であり,また雇用安定もままならない場合がある。そこへ大手の終身雇用制度に基づいたOJT教育を中小企業で行っても中小企業の経営者は実務に生かせるかを懸念する。しかし,地域の中小企業が自社独自の研修体制を持つことは,経営者が従業員を察する心,思いやる心であり,組織の中で最も大切なことである。企業規模にかかわらず能力開発は従業員の企業に対する集団意識を強めることで,製品の生産性を上げるとともに企業競争力を高めることになる。
雇用促進事業団が実施する能力開発事業は,単に大手のOJT教育を真似て中小企業に実施すればよいといった容易なものではない。これでは現場を見ないお役所的な考えといえる。この事業の目標は中小企業が従未の下請け企業ではなく開発型企業として変革し,地域の雇用拡大を備えるように支援することにある。地域の雇用拡大は地域に若い労働力を芽生えさせ,新たな中小企業を創出する。まさしく21世紀の多様化した社会では,中小企業に視点を置いた能力開発事業が人材教育の実践の場となる。その中小企業を支援することが,地場産業への活力を促し,異なる業種の技術が交わり,新たな能力開発事業を創造することになると考える。
岡山県南西部に位置する倉敷市は43万の人口を有し,全国の都市平均(20%)より基幹産業(製造業)が占める割合が1割高い。その理由は日本でも有数のコンビナートである水島臨海工業地帯があるからだ。そこは主に化学プラントおよび自動車,造船,製鉄所等の工場が連なり,高度成長時代の日本の経済を支えた基幹産業が活躍している。現在,倉敷市は水島臨海工業地帯を中心に工業都市から生活環境を整えた文化都市として変わろうとしている。住民への生涯教育と若手の定着のため「カレッジタウン21」を計画し,2つの4年生大学の誘致を行い,生涯教育施設の充実を図っている。また,岡山県では岡山大学をはじめ,岡山県新技術振興財団,県工業センターが産学一体となりテクノサポート岡山を設立し,従来の工業団地のみ提供する計画ではなく,開発型の企業創出のため環境整備に焦点を当てた施設を設け,ハード面とソフト面から地場産業の振興と新技術の支援を行っている。
また倉敷市にある岡山職業能力開発短期大学校は,能力開発セミナー(以下,「セミナー」という)を能力開発事業の1つとして取り組み,主に地域の在職労働者に対して技術的なセミナーを平成2年度より開講した。6年目を迎える今年度は110コース,2200時間のセミナーが計画され,今年度は280人ほど(平成7年度8月現在)の利用者数に達している。
これらの地方および国の公的機関が,対象者を想定し,公的資金を利用して地域の活性化に働きかけていることは,あらゆる角度で地域への知的サービスの向上であり,地場産業の振興になる。では,本当にこれらの公的機関が作用し,充分な満足度を対象者に与えているだろうか。この問いに答えてくれるのは,施設を利用した地元企業や住民の声を聞くと明らかになる。だが,この問いは施設運営している担当者自らの問いかけでもある。能力開発事業担当者が自らがどう行動しているかを問いただせば,自ずと答えは見えてくる。
公的機関の能力開発事業は,公的な立場からできる限り多くの人の利用を考えるため,事業内容が最大公約数的なものになってしまう。これはお役所の公平原理が働くため仕方がないことかもしれない。しかし,事業評価を効率性から考えれば改善される要素は多く,今後公的機関の評価は効率を考慮し厳しくなると考えられる。
本校のセミナーにおいても2000年までに5000時間を越える計画を立てているが,現在は機械および電気,情報,デザインといった専門分野別にセミナーを増加させ,その評価は受講者数や受講率が基準である。セミナーに対する顧客満足度や技術的難易度の評価判断が難しいため,能力開発事業をどのように運営していくかはまだまだ不透明な要素を残している。しかし,能力開発事業を地域企業に働きかけ,促進するという目標は明らかであり,それを推進する人間がこの事業を大きく左右していることは間違いない。
本校の能力開発セミナーが開講した平成2年度頃の私は,自らが計画したセミナーの意向を相手に伝えさえすればよい。知的サービスの評価は難しいので,自らが欲するセミナーを開講すれば,相手の方から私を解ってくれる人が現れるだろうと考えていた。セミナーの広報活動においても,各企業や団体にセミナー案内書を手渡すだけで,相手がその企業の誰であろうと一方的に説明し,セミナー受講者獲得しか考えなかった。しかし,これでは長続きしなかった。セミナー受講生も少数で,受講者も継続してセミナー受講することもなく,自らのセミナーのみにこだわるため,セミナーで使用する機器の充実や内容のレベルアップに力を入れることしか考えず,受講者の確保やセミナー広報等は考えなかった。つまり能力開発業務のポイントを見失い,相手が欲するものと交換できる行為が足りなかったのである。商品と同じように知的サービスは,相手との交換ができて初めて自ら欲するものが手に入ることを知らなかったのである。
この考えが気づくきっかけになったのは,3年前の西アフリカにあるセネガル共和国への短期海外専門家として派遣した時である。現地で3ヵ月任務をしたことが,今から考えれば転機であった。短期海外派遣もまさしく同じ考えで臨んだ。以前に本校において幾度か海外研修生の受け入れを行った経験から,短期海外派遣はセミナーの内容をじっくり時間をかけて行えばよいと自負していた。しかし国内と海外の環境の違いは,あまりにも大きな相違があり,また現地の研修生はヨーロッパの個人主義に影響されていることもあって,私が現地の研修生に仕事の事情や使用教材を考慮しないかぎり,いくら日本でシミュレーションした実習を実施しても,高価な教材を輸送しても,彼らの必要とするものでない限り,単なる飾りものにしかならないのである。
私にとっては,これ以降セミナーに対する考え方が変わった。帰国後まず企業めぐりをはじめ,自らのセミナーを積極的に説明して行くことにした。過去のセミナー受講企業はもとより,卒業生の就職先,本校に出入りする企業から紹介を受けた企業等できる限り繰り返し回った。また以前のように,行きあたりばったりの訪問ではなく,相手を明らかにし訪問時間を決めて訪ねた。
企業回りから学んだことが2つある。1つは本校が知られていないことが分かった。能力開発セミナーを含めた能力開発事業を説明する前に,雇用促進事業団とは何か,どのような事業を行う機関かを説明することが多かった。また一度訪問すればこちらのことを充分理解してもらえると頭から思い込み,相手が忘れることなどとは思いもしなかった。これより広報活動は繰り返して行う重要性を感じた。2つめは,相手に能力開発事業を推進するには,即時に良い結果が出てこないことだ。この事業が企業内部に浸透するまでに相当な時間が要することが分かった。またいくら良いセミナーでも相手に応じた時間的な配慮がないと活用されないのも事実であった。
このことから,私はできる限り訪問した企業先の担当者に,本学を一度見学するように勧め,案内書や言葉で説明が足りない部分を補った。また相手を知るために,時には本校の学生をも同行させて相手企業の工場を見学し,多くの企業内部の方と会う機会を設けた。
開始して3年ぐらいすると相手企業の誰かが解るようになり,数回の工場見学から,企業がどのような製品を生産し,機械はどのようなものを使い,といった相手側のことを知ることができた。これより,相手との共通点を多くもつことができ,それ以降セミナー案内書を送付する際にも,相手が見えることを前提に送付し,年度ごとのセミナーの特徴を説明すれば,企業内部に情報を提供してもらえる。効果的な活用を配慮してもらえると信頼感を持つようになった。
しかし,相手が解っても,使い勝手は相手の職務や役職に依存する場合が大きいことも事実である。たとえば,相手が総務部の場合は,会社員のことを考慮するため,技術的な内容よりは新入社員や女子の実務教育,さらには技能検定などの資格関連等全般的な利用を考える。また技術部の場合は,技術一辺倒になり,技術系の新人のスキルアップから新技術への要望までと,異なった要望が強く出る。中小企業とはいえ組織内部の壁があり担当者によって活用を異にすることが分かった。
確かに,能力開発事業推進者が企業内に置かれていると,企業の能力開発についての年間計画を立案し,その企業としての将来必要な技術や技能の方向づけができ,我々がその企業に訪問しても能力開発事業を支援しやすい。だが要望が高くなればなるほど,技術的には高度になり特殊性を帯び,企業との係わりが深まる。その中で,私は企業が地場産業の活性化にかける意気込みを感じるとともに,我々に期待することを強く感じた。
従来の能力開発セミナー運営は人と人とのネットワーク,つまり講師一人一人がもつネットワークが働き,単一企業または個人と講師との関係が第一になった。このため,新規参入者に対し閉鎖的になる場合がある。確かに,能力開発事業に関心が高い企業に対して力が入るのは仕方ないことかもしれない。だが常に開かれた能力開発事業を行うという公的な立場を崩してはならない。
そのため,平成6年度から雇用促進事業団が施行した団体方式は,それまでの能力開発セミナーの運営と比べて,各工業会や協同組合などの事業主団体を対象に能力開発事業を促進する計画が最優先された。この方式は地場産業という市場を考慮した能力開発事業運営システムともいえる。この方式により開かれた能力開発事業を運営するとともに,地場産業が抱えている問題を団体と一緒に考えていこうと呼びかけたのである。
本校においては,現在,近隣周辺の団体を12団体選定し,積極的に働きかけている。その中でも,T工業会は,機械部品の製造業を主にした中小企業が多く,その本社は関西や関東に有することもあり,地元への関係が薄く,また地元玉島臨海地区の隣接に所在していながら,企業間のつながりはほとんどない。
しかし,これらの企業と本校との関連は深く,すでに25名の卒業生を傘下企業に送り出し,また教育熱心な企業が多く,毎年OFF-JT教育として本校のセミナーを受講している。このことから,この工業会に対し本校は若い人材の提供から,セミナーを利用した能力開発,さらには共同研究と,あらゆる情報を積極的に提供し,ハード面とソフト面の両方から支援している。そして,傘下企業全体の職種および業種を体系立てて学ぶことから,企業の技術的なボトルネックを見出だし,そのボトルネックに対する能力開発を今後支援していくことが最も相手に喜ばれることと考える。
また,この企業団体から学んだ能力開発のノウハウを,他の団体や企業に生かすため,我々講師も施設の同僚と過ごすだけでなく,施設を飛び出し,企業の実践の場から声を聞き,講師自らも能力開発することが,小さいながらも小回りが利く地域の生涯教育短期大学校となりうると考える。
ものづくりはこつこつと磨き上げる技能と新しい技術を取り入れる柔軟な素地が不可欠であり,ものづくりのノウハウは実際の不備な点を1つ1つ解消して,改良し続ける姿勢から得られる。これはテキストを見て学び得ることではなく,また理屈ですべて説明できない。ものづくりこそが,日本企業に生かされるべき道であり,また終身雇用制度を維持させることが,労働者に安心感を与え,日本企業を繁栄させることになる。
終身雇用制度を確立した高度成長の時代は,工場の機械化により生産性を高めた時代であったが,また労働者の能力開発を行うことでより高い技術や技能を育成し,生産性の高い製品をつくり続けた時代である。その良き高度成長時代が終焉し,脱工業化社会などといって,上昇するアメリカ労働者の転職率を引き合いに出し,日本も能力主義に変わるべきだと主張する意見がある。しかし,アメリカの雇用調査研究所(1994年度)においては,1991年の米国男子労働者が同じ雇用主に雇われた期間は平均5.1年で,1951年度以降のほとんどの年よりも長かったと報告されている。アメリカでも雇用安定は不可欠であり,クリントン大統領でさえアメリカの製造業の復活には,日本企業の能力開発を指摘している。
日本の中小企業を支える技術開発や能力開発のすばらしさは,日本国内に170ヵ所の工業試験所と99ヵ所の職業能力開発施設が各地に所在することを見れば明らかであり,さらにこれらの施設が常に企業ニーズに応じた改良を行い,地場産業に役立っているからである。
今後の能力開発事業は,何が中小企業内のボトルネックになっているかを明らかにし,それに対してどう教育し,支援していくかを問いつづける熱意が必要である。それには企業側も,ものづくりだけをすればよいという卑屈さを捨て,地域に開かれた企業として耳を貸し,能力開発事業に積極的に取り組む姿勢が求められる。
また企業内で働く個人は,その専門分野や事業の状況に遅れを取らぬように,内にも外にも情報交換のネットワークづくりに努め,自らの技能やキャリアは先々のことを考えて自分で管理することも大切である。そして自らの仕事の形成とともに,自己形成する場として企業があると考え,企業と個人とのバランスをうまく調和し,自らの能力開発を行う探求心をもつことである。人の能力をしぼませたり,仕事としてつまらなくさせるのは「自分にはこんなことができない」と思い込んでしまう心である。
そして本校は,個人にも開かれた能力開発事業を地域に推進することが,地域の生涯教育短期大学校として広く受け入れてくれると考える。