ポリテクカレッジ新潟が所在する新発田市のほぼ中心部に新発田城がある。この城は築城400年ほど経過しており,現在は表門・二ノ丸隅櫓および石垣の一部を残すのみとなっている。
この新発田城を学生5人と教員4人が卒業研究を通し,新発田城本丸全体を1:150で復元したのでここに報告する。
新発田城は新潟市から北方28㎞の新発田市に存在し,城地は市街の北西に位置している。1598年に初代藩主溝口秀勝により築城が始められ,56年という長い年月をかけ,1654年に完成している。その後,二度の大火を経て明治初年まで本丸,二ノ丸,三ノ丸合わせて櫓11,櫓門5の規模を持っていた。明治の初期,工部省の命によりその大半が取り壊され,さらに堀も次第に埋め立てられた。現在わずかに旧本丸の表門一棟,同石垣と堀の一部,および二ノ丸隅櫓一棟を残すのみである。
有力な資料となっているのは,明治の取り壊し以前に撮影された数枚の写真(図1)と明治34年に当時のお抱え大工が思い出しながら描いた平面図(図2),二ノ丸隅櫓・表門においては昭和32年の解体修理時に描かれた図面(図3),それらの資料をもとに描かれた鳥瞰パース(図4)である。昭和32年の解体修理が行われた表門と二ノ丸隅櫓以外は,資料に乏しい。特に,本丸の大部分を占める本丸御殿については,図2と写真1枚だけが手がかりとなった。
模型による復元にあたっては,作成に取りかかるまでの技能・技術の習得,スタディ模型の作成と考察に長時間を費やした。最終模型の作製は図5に示すように,全体を敷地,本丸御殿,櫓・門に分け,3つの班で平行に進めた。
模型を作るにあたり,新建築家協会主催の全国建築模型展,近隣市町村に展示してある復元模型を見て,仕上がり像を考察した。また,模型制作アトリエを訪問し,作り方の指導を受けた。いくつかの方法でスタディ模型を作り,考察を重ねた。
入手した資料および知識をもとに,次のことから,縮尺を1:150に決定した。
また,材料は次のことからバルサ材を使用した。
石垣,土累,櫓,門,本丸…バルサ材
土台…シナ合板
樹木…トゥリーク,模型用スポンジ
土…標準砂(豊浦町産の天然けい砂)
堀,池…水溶性合成樹脂塗料(アクリル)。透明塗料は,数種類試験をしてみた。エポキシ系,ラッカー系は乾燥に伴う収縮があるので,乾燥後ひび割れ等が発生し不適切であり,水溶性のアクリルエマルジョンペイントが適切であった。
この新発田城各部分における模型製作の過程は,次のとおりである。
①石膏を使った石垣のスタディ模型の作成と考察
②バルサ材を使った石垣・土累スタディ模型の作成と考察
③本丸の石垣・土累の作成(図6)
④堀・池の作成
⑤砂・塗料による仕上げ
⑥樹木の作成
①発泡スチロールを使ったスタディ模型の作成と考察(図7)
②バルサ材と紙による比較検討(図8)
③屋根伏図の作成
④平面図の再検討
⑤バルサ材を使ったスタディ模型の作成と考察
⑥バルサ材による作成
(3)櫓・門
①ペーパーを使ったスタディ模型の作成と考察
②各櫓・門の立面図作成
櫓屋根は反らせ,本瓦葺の丸瓦は,本丸御殿とのバランスも考え省略した。
本丸は,写真を見ると多少のむくりがあるが,1:150の模型ではわずかなむくりを表現するために,作業の非効率,またその結果,屋根の接合部の隙間が生じる危険性が高いことから直線にした。
発泡スチロールでスタディ模型を作った。当初,3次元CADでソリッドモデルを作成し,モデルの部品図を出そうとした。しかし,大部分の屋根は入母屋であり,また単品生産の時間的な効率を考え,最終的には主となる屋根を作成し,現物合わせで一つ一つ作成した(図10)。
敷地の地面は,酢酸ビニルエマルジョン(木工用ボンド)を塗り,標準砂をまいて固定した。砂の厚みを持たせるために最後に砂をふってフェキサチーフをかけた。
堀の水を表すのに着彩も考えたが,本丸・各櫓ともバルサ材そのものの仕上げであるため,透明塗料を流し込むだけにした。
さらに室名を書いたプレートを作成し,1年間かけて完成したのが図11である。
そして,ケースに納めたのが図12である。完成した模型は,新発田市の施設に常設展示されることになった。
作成された新発田城の模型は,平成8年4月25日にCGアニメーションとともに新発田市に寄贈した。寄贈にあたっては,贈呈式が行われ,当短大校長より市長に渡された。そして,新発田市より感謝状を受けるに至った。作成途中の様子と贈呈式は,数社の新聞に記事として取り上げられた(参考資料1)。