今日の著しい技術革新によって生じる,多様な教育的ニーズを,より効果的なカリキュラムとして編成するためには,製造部門における近い将来の技術的展開の見通しが不可欠である。
一方では,多様に変化する時代の中で常に環境の変化に対応できる「人づくり」という点から,最も不変的である「生きがい」や「働きがい」という,人間の究極的な欲求である「自己実現」の場を与えることが必要である。即ち,自分の資質を最大限に発揮でき様々な状況の変化や問題に対し,自分の仕事として問題の解決や改善に取組める主体性のある自律的な人の育成も忘れてはならない課題のひとつである。
本論文は,技能訓練生教育を担当して10年目を迎えた,私の試行錯誤の中から生まれたものであり,日々変化する社会的環境と現代の若者像や製造部門のニーズを理解し,それらに対応するための教育訓練計画と,訓練生自らが目標を設定して,その問題解決と改善に取組める環境づくりや雰囲気づくりに注力した,体験に基づくものである。
ここで紹介する「目標設定による実践的訓練計画」は「自己啓発によって人は育つ」がベースになっている。あくまで自分を成長させるのは自分自身であり,自己を実現させるのは本人であり,自発性なくして「個性(資質)の発揮」は有り得ない,という考えが基本にある。
我が国の経済は,第2次世界大戦後の高度経済成長を経て,世界第2位の経済大国としての地位を占めるに至っている。
資源の乏しい我が国が,こうした目党ましい発展を遂げてきた背景には,他国に類を見ない勤労意欲と,それに支えられた優れた技術・技能があったことは周知の通りである。
しかし,我々を取り巻く経営環境は技術革新の急激な加速と,対外貿易不均衡による貿易摩擦や円高に伴う経済環境の悪化,出生率の低下による若年労働人口の減少,ならびに高齢化社会の到来等の雇用環境の変化,さらには地球規模の環境問題等々,多くの問題を抱えている。
こうした状況の下,企業の社会的責任とりわけ製造業における社会的責任や貢献が問われている昨今である。
PL法の施行で,物づくりの見直しが図られ,当社においても基本技能の見直しと教育の強化が叫ばれ,具体的施策に取組んでいるところである。しかしながら,最近の社会経済の急激な変化と個人の価値観の多様化が進む中で,職業に対する意識の変化がみられ,特に若者の技能離れの傾向が強い。
また,「技能の技術化」「脱技能」「省技能」が進む中,必要かつ継承すべきは何か,製造を支える基幹技能は何か,新技術に対応する技能とは何か等,課題が山積しているのが現状である。
そうした中で,これから将来新しい物づくりを支え,製造部門の核となる技能訓練生への期待は大きく,その教育に携わる我々は時代と共に変化する教育ニーズにどのように対処し,教育訓練内容にどう反映していくかが最大の課題となる。
戦前の中堅工員養成として,昭和10年青年学校令に基づく養成工制度が設けられたが,終戦後の社会的,経済的な混乱により,その活動は停止した。
その後,昭和26年に三重工場が労働基準法技能者養成規程に基づいて技能者養成所を設置し,中卒者の技能者養成教育を開始した。
翌27年には鶴見工場が,続いて29年に当校の前身である堀川町工場が開始し,以降逐次各工場に波及した。
当時は各工場独自の製品製造に関連する基幹技能の養成であり,それぞれ独自の要請と方針のもとに行われていた。
しかし,全社的見地から組織的かつ計画的な技能者養成教育の必要性が痛感されるに至り,昭和31年「養成工教育基準」が制定される中,各工場の特殊性を加味しながらも会社的統一基準により全工場にわたり実施されるに至った。
昭和49年からは中卒採用の減少により,高卒訓練(第2類)を開始し,51年には長年続いてきた中卒訓練(第1類)に終止符を打つことになった。その後,昭和61年には社内における「高卒技能訓練生教育実施基準」が新たに制定され,現在は全社で10校が認定校として運営されている。
昭和52年に本社人材開発部高等職業訓練校が,技能教育訓練開始以来初めての本社管轄訓練校として神奈川県知事の認定を受けた。これが当校の前身であり,その後の組織変更に伴い現在に至っている。
平成4年には,生産技術とそれを支える技能との融合を図るとともに,設備と人的な有効活用を狙って,川崎市から横浜市にある当社生産技術研究所へ移転をした。
教育の目的は技術革新の進展と産業構造の変化等,新しい情勢に十分適応し得る中堅技能職要員の確保と,固有の基幹技能を将来にわたって継承することにあり,教育方針は次の3点を柱にしている。
訓練職種は,普通職業訓練普通課程の機械系機械加工科と精密加工科及び電気電子系製造設備科の3科である。
訓練校設立以来,1723名を数える多くの修了生を全国の各事業場,関係会社に送り出してきている。
当校に入校する訓練生は,その大半が高校新卒者で全国の事業場,関係会社から派遣されてくる。
訓練期間中は全寮制をとり,自主・自律・自治の実践の場として団体生活を体験する。
訓練生には一般社員と同様の扱いをされ,給与支給はもちろん,教材費等全ての訓練経費も会社が負担するという経済的に恵まれた環境の中で訓練を受けている。
他方,訓練生として派遣される際に「訓練校での勉強や実習は君達の仕事」と派遣元から諭されて入校はするものの,職場経験のない彼等にとって訓練校は高校生活の延長線上という感覚が強く,仕事として教育訓練に励むことの認識に乏しい。
「勉学の必要性」つまり,何のために勉学をするのかの意識が稀薄なまま,毎日の訓練を受けているのが実態であった。
訓練生の中には「なぜ会社に入ってまで勉強をしなくてはならないのか」とか「勉強が嫌いで,働きたくて就職したのに」と考える者も少なくない。当然の事ながら,毎日の訓練は受け身の姿勢が目立ち常に一方的に指導され,やらされているという感覚が強く,自発性が見られない。
恵まれた環境の中で,訓練の意義がなかなか理解されず,学生時代の延長のような生活感をもって毎日を過ごしていたり,日々の訓練は強制的で,給与との引換えにやらされていると思っている人も少なくない。
また,現代の若者の傾向として次のようなことが挙げられる。
こうした訓練生の傾向とその特徴を理解して,一人ひとりの個性を尊重し,訓練生が必要だと思う事柄を必要な分だけ学習させる。
これが社会人として最も大切になる自己啓発・生涯学習の基盤づくりになると考える。したがって,これからの教育訓練は,
① 個性を重視して,その可能性を引き出す教育訓練システムの構築が必要である。
② 成果物を明確にして,それを業務(仕事)として認識させる。
③ 一人ひとりに自分の能力と個性が発揮できる,自由度の高い目標を設定させる。
このような,仕掛けや仕組みが必要となり更には,ファイナルゴールのイメージを明確にして,その達成度を高めるには教育訓練に携わる指導者のきめの細かいアプローチが大切になるのである。
私は,実技・学科指導をする傍ら,生活指導と訓練校全般の企画運営を業務として,広く深く訓練生と関わってきた。多くの訓練生と接する中で,ややもすると集合教育(集団指導)においては,個人に焦点をあてることよりも,集団全体の動向に視点が向いてしまいがちになるのである。
本来は,一人ひとりの人間の生き方を大切にする教育訓練が,個の尊厳(個性尊重)に結びつくことからすれば,集団指導型から個別指導型への脱却を図らなければならないのは当然のことである。
以上の観点から,個人の情報を広範囲にまとめ,それを個別指導に活用することで,個々の特性を生かすことができた事例『個人情報ファイル』を紹介する。
これらの目的を達成するための手段として入校直後の導入教育を実施している。この導入教育期間中に,訓練生個人に関する情報を得るための施策を展開している。
個人情報は大別して次の4つである。
① 面接の実施
小集団面接法で面接を行い,予め標準化した質問内容で,訓練生の物事に対する見方,考え方,主張,批判といった事柄について,表現された内容から,訓練生の人格的なものについての情報の取得を目的にしたものである。容姿態度・発表力・適応性・積極性のアイテムを個人情報シートに記入する。
② 課題作文の実施
事前に準備した,いくつかのテーマを与え,その中から各自がそれぞれ自分のテーマを決めて,800字程度にまとめる。
面接が口頭によって,物の見方や考え方等の情報を得るのに対して,ここでは文章によってそれらの情報を取得する。
③ 性格検査の実施
訓練生の性格特性と内面的な特徴の概要を理解することを目的にしている。
当校では,入校の条件を特に定めている訳ではなく,養成の依頼があればそれを受けるようにしている。従って,訓練生の知識的能力にはかなりのレベル差があり,指導上の大きな問題点のひとつになっている。
特に学科指導においては,授業の進め方について苦労が多く,下位レベルの水準で授業を進めると,すでに理解している者には退屈で居眠りをしてしまう。その逆は更に深刻でやる気を失い「ついていけない」との理由で退校を申し出ることにもつながりかねない。
そうした観点から,訓練生の入校時における基礎的知識の程度,専門的知識の程度,一般社会的知識の程度を盛り込んだ理解度テストを行い,それぞれのアイテムごとに個人情報シートに記入する。
この情報については教育訓練スタート前に各担当講師に与え,各々の授業計画に反映させていく。
一般職業適性検査を用いて,それによって検出される空間判断力,形態知覚,運動共応,指先の器用さ,手腕の器用さなどの技能面における適性能力を把握し,実技指導の参考にしている。
能力は「何かを為しうる力」と定義されている。その能力という観点から技能をとらえれば,技能という能力は正確な知覚と迅速かつ正確な動作からなるものと理解される。
そこで,体力的側面からの個別指導も重要になっている。ここでは,瞬発力,筋持久力,敏捷性,柔軟性,平衡性,心肺持久力といった内容を測定する体力測定を実施している。
これらの測定データと入社時の健康診断におけるデータを体力的側面として,個人情報ファイルにインプットしている。
個人情報の取得については,導入教育時点で完了をさせる。それ以後の健康管埋状況,成績,人物評価,生活指導状況,面接時のコメント,個別指導の注力点などについては適宜,個人情報ファイルにインプットすることにしている。
この個人情報ファイルは,講師にはもちろん,必要があれば訓練生本人にも開示する。
個別訓練指導に必要且つ不可欠なことは,訓練生の全人格を理解するところから始めるべきであり,個人情報ファイルは個別指導に必要な綿密なデータの把握によって,従来の集団的画一的指導から脱却した,あくまでも個人優先の,個性を尊重した指導を狙ったものである。
この個人情報ファイルの活用方法とその効果として,次のことがあげられる。
これらにより,きめ細かな指導が可能になり,個人の能力を十分に発揮させるのに大きな威力を発揮している。
個人の能力を引き出すための,体系的且つ実践的な職業能力開発システムと,新時代に向けて自由度が高く,しかもオリジナリティのある教育訓練の実現に努めてきた。
これは個性を重視しその能力を最大限に発揮させて,更には自主性と自律性の助長を促し,しかも企業人としての意識転換を図ることができる教育訓練を模索したものである。
ここにその実践例である『目標設定による実践的教育訓練』を紹介してみたい。
訓練校の修了式を迎える1ヵ月間は,技能照査も終り職場配属の準備期間である。その準備期間を,何とか有意義な訓練期間にさせようと考えて手始めに実施したのが「修了課題製作」である。これは,訓練の成果を「ものづくりの実践」として位置付け,これを体験することによって基礎基本から応用的知識・技能の習得への発展を目的としたものである。
進め方としては,グループを編成して各グループ単位でリーダーを中心に役割分担をして,構想を話し合い設計製図を行い,生産計画を立てる。又,部品材料の発注から部品加工・組立て・調整までの一連の生産活動を実践する。
これによりチームワークの理解と実務適応能力の向上,および物づくりの喜びの実感,達成感,満足感などを得ることができたと思う。
この「修了課題製作」は,それまでにない教育的効果があり,有形無形の成果があったことは確かであった。
しかし,訓練校修了間際の1ヵ月という短い期間であり,1年間を通した教育訓練に目を転じてみると,依然としてやらされているという意識は拭い去ることはできなかった。
そうした面を補うため,訓練校修了間際の1ヵ月間ではなく,入校当初から年間を通してカリキュラムに課題製作を組み込めないものかと検討・改善したのが,ここに紹介する『目標設定による実践的教育訓練計画』である。当校のカリキュラムの区分上では「課題研究」と称している。
その概略を以下に示す。
給与や教材が支給される,恵まれた環境での自発性の欠如。
仕事感覚に欠け,やらされているという意識が強い。
言われなければやらないという,指示待ち傾向にみられる特徴。
弾力的な職業能力開発の展開と推進。
こうした背景をもとに,人間的成長(自己実現)の啓発促進と新法へのフレキシブルな対応を目指すことを主な狙いとした。
具体的な目的は次の通りである。
実践する上での基本的な考え方は次の通りである。
それぞれの実習アイテムにターゲットを設定して,各アイテムごとの目標が課題研究の目標となるようにした。尚,課題研究の時間数は135時間でこの時間はフレキシブルタイムといって,訓練生個人が自分のテーマにそって計画を実施するために自由に使える時間である。
課題研究相談日を設けて,学科講師と実技指導員が訓練生個々の相談に対応する。
又,授業の組立て方も前半は基礎的知識に集約し,後半は訓練生の研究テーマに即した情報の提供や指導を行うフレキシブルな授業展開とするようにした。
入校当初,表2に示す課業(成果物)を提示して,仕事と称して全員に与える。
成果物を実現させるために,自分が取組む研究テーマ(目標)を設定する。研究テーマの設定に際しては,こうありたいと思う1年後の自分の姿と自分の全てが出せる,いわば自分の能力全開で「ヤッター」と言える完成度の高い水準のものとして,前述した個人情報ファイルをもとに,個人の能力・特性を参考に,個人面接指導を経て,表3に示すようなテーマに絞り込む。
表4に示すように,年次行動プランを個別に策定し,成果物を実現するためのプランニングを行う。指導側は,進め方や設計書作成の手法,その他必要項目について補講計画を立てて,これを援助していく。
次に年次行動プランを踏まえて,月次行動プランにブレークダウンする。
これは,その月の具体的行動目標を掲げてその目標達成に努力するとともに,自己評価をしたうえで翌月へのフォローを行う。
つまり月初めに設定した目標に対して,月末には自分の行動と成果を自己評価して,指導員との個人面接の中で,年次行動プランの見直し改善と翌月の行動プランに反映させていく仕組みである。
このようにして,プラン・ドゥ・チェックアクションの繰り返しを行い,ファイナルゴールを目指し最終的に成果物を完成させる。
各々の成果物について,表5に示す評価基準を定め,学科講師や実技指導員及び訓練校関係者が各項目ごとに評価を行い,優秀者については社内表彰をする。
こうした試行錯誤の中で実施してきた事例の成果は,訓練生及び指導員の感想を通して次のような事があげられる。
入校時に,この訓練計画を説明すると一様に「本当にできるのか」という戸惑いと同時に「やりたくない」といった拒否反応を示した訓練性も少なくなかった。
しかし,課題研究時間(フレキシブルタイム)になると,図書室で分厚い専門書からメモしている姿や,研究所の研究員でもある学科講師に電話で質問したり,直接職場に押しかけて疑問点を投げ掛けている姿が目立つようになった。また,成果物の納期が近くなると専門書やカタログを寮に持ち帰り,ワープロを前にしての自主活動も多くなってきた。
このように,より具体的な目標の設定が訓練性に自発性を促し,これまでの「やらされている」という感覚から,自ら「やる」という意識に変わり「使命感」を生み出したのである。
本校を修了する日に実施する成果発表会では,本校関係者と派遣元の事業場・関係会社幹部を前にして,自分の全てを注ぎ込んだ課題研究の成果である成果物の売込みをするが,成果もさることながら,それ以上に今までと違った自分の成長した姿を見てもらいたいと思う気持ちが痛い程伝わってくる。
これは,訓練生が自分の考えなり行動なりが指導員に理解されると共に,その存在価値を認められ,その上で自分の能力を発揮して自分自身を成長させたと自負しているからである。
能力開発の基礎は自己啓発にあり,いかなる形の能力開発も本人自身の自己啓発意欲が前提となる。しかし,それはあくまでも同僚との切磋琢磨や会社の援助等がなければ決して促進できるものではなく,自己啓発したくなるような環境を醸成し,その機会を与えることが大切である。
また,能力開発の効果を高めるには,一人ひとりの性格・能力・意欲・動機等を尊重し,個人の特性に応じた個別の指導と,それを行うプログラムが必要である。
行動科学者のK・レビンの「行動方程式」B=f(P・E)に示されるように,Pすなわち個人の欲求・価値観・動機・態度・関心などの個人的特性を変えようと努力するだけでは,その人の行動は変化しないということである。
従って職業能力開発に携わるものとしては,刻々と変化する教育ニーズに対応すべく環境を整備すると同時に,本来私たちの責務である訓練生を「援助」するという観点から,常に最良の「仕組み」や「仕掛け」を考えた教育訓練を進めていくことが必要不可欠であると言える。これからも「個」の尊重を基本とした,時代ニーズや企業ニーズにあった人材の育成方法を模索しつつ,常に最善の職業教育訓練を目指していきたいと考えている。
最後に,職業能力開発が益々発展することを願うとともに,これからも若手技能者の育成に微力ながら尽力していく所存である。