大学・短大への進学率向上とともに,学生の学力と気質も多様化し,旧態依然とした大学の教育法では対応できなくなってきている。従来の大学教育では,学生は教授の背中を見て育つとか,一を聞いて十を知るとかですまされていた感が強いが,現在ではかなり有名な大学でも,新人類の対処に真剣に取り組むに至っている。大学の大衆化における一番の問題は,低学力学生の大量入学であるが,中には高い学力を持つ者もおり,この学生間の大きな学力差が問題を一層複雑にしている。
筆者は,幸いにも(?)そのような現場に長年勤務する機会に恵まれ,その中でいくつかの授業法を考案し,実施してきた。それらの方法は,いずれも特殊な機器などを使用するものではなく,プリントなどにちょっとした工夫をするようなものなので,どこでもすぐ実施可能なものである。ここでは,筆者が考案した,学力差が大きい場合の一演習法とパソコンを授業に簡単に取り入れる方法など,以下に紹介する。
筆者が教師になって初めて担当した科目は,電気回路演習であった。当初は学生に問題を割り当てて,板書させ,あとでちょっとした解説をつけ加えればいいと安易に考えていたが,数週でもろくも挫折してしまった。問題を割り当てると,次の週から欠席する学生が大勢出てきたのである。それまでの筆者の考えでは,普段は欠席しても問題の当たっている週だけは出てくるはずであったが,現実はそんなに甘くなかった。ただ,救いは筆者と並行してクラスの半分を担当していた先輩教師のところでも同じ現象が発生していたことであった。
2人で状況を検討した結果,板書式演習法では,欠席する学生が出現するほか,
① クラス全体の速度が遅い
② 自分の力でやらない学生が多い
③ 割り当てられた問題しかやらない
④ できる学生が低次元で満足してしまう
などの欠点があり,この対策として「自動車学校方式」1)とでもいうべき演習法を考案し,実施することにした。
新しい演習法を考案するに当たって,筆者等が留意した項目を以下にあげる。
この演習法は,B4版に印刷された,1コマ(90分)の授業で解くのに適当と思われる4,5問に対して,基本的に全員が全問を課され,できしだい問題用紙を提出し,新しい問題用紙に進むというものである。解答は,問題用紙内に書き込むようにし,問題用紙は授業終了時に回収して,他人に書いてもらったり丸写しすることができないようにした。これによって,学生は次の時間までに,すでに見た問題について勉強してくる必要がでてくる。
また,問題用紙を1枚ずつ与えるようにしたのは,目前の問題を少なくして学生の嫌悪感をやわらげ,やる気を持続させるためである。このことは,特に低学力の学生に対して配慮すべきことであって,問題を1回に大量に与えては,最初から学生は諦めてしまう。
この演習法の流れを図1に,演習問題とCheckの例を図2に示す。図は,当時のもので,すべて手書きであった。フローチャートの中で,教師の行う処理は長方形,学生自身がする処理は平行四辺形と区別してある。個別進度ですべての答えを見るとなると教師に負担がかかりすぎるため,Checkという項目を設けて,答えを学生自身である程度できるようにした。これは,各分電流の和が全電流になるか,各分電圧の和が全電圧になるかなどの電気回路における基本事項をチェックする習慣を学生につけるとともに,教師の労力を軽減するためである。このCheckを設けることにより,個別進度でも60~70人の学生を1人の教師で扱うことができる。
学生は完全に答えがわかっていると計算したがらない。学生に計算をする気にさせ,学生の計算結果に対して情報を与えるのがこのCheckの役割である。このようなやり方は,数学や物理などの理系の教科にかかわらず,文系の科目である国語や英語などでも使えそうである。
また,基準進度以上の学生には,Challengeの項を設けて高度な問題を追加で課し,向上心をあおるとともに,進度差が大きくなりすぎないように配慮した。
実施の結果は,まず出席率が実験科目に次いでよくなり,座学では最高になった。この演習法は,低学力の学生に焦点を合わせての実施であったが,結果は学力の高い学生に評判がよく,お互いに進度を競い合うなど,板書方式に比べて積極性がみられるようになった。
筆者が,教育にパソコンを最初に取り入れたのは,電気回路演習CAIを作った2)ときである。その頃は,まだマイコンと呼ばれていた時代で,プログラム作成に使用できるメモリが,7K(Mではない)バイトしかなく,グラフィック機能も貧弱極まりないものであった。それでも乱数を発生させて,回路の種類と定数を決め,マイコン自身が解答を計算し,学習者の答えをチェックするシステムを作ることができた。しかも,直流回路だけでなく,交流回路の演習にも対応できた。図3に,このシステムのフローチャートを示す。作成したときの機械は使いものにならなくなったが,この考え方は今も使えると思う。
その後のパソコンの進歩はめざましく,かなり高度なCAIにも使用できるほどの能力を備えるに至っている。しかし,自分自身の授業に合ったCAIを作るとなると容易ではない。そこで,筆者が現在行っているのは,電気回路の回路定数を学生ごとに変え,パソコンで学生自身に答えを入力させ,答えに対するメッセージをパソコンに出させる方法である。この程度のプログラムだとBASICでせいぜい50行くらいですむので,作成してもそんなに負担にはならない。大抵は,学生の生まれた月と日を数値として使うのであるが,パソコンを使わない場合でも,学生にレポートを提出させる場合には,必ず別々の数値を与えることにしている。全員に同じ問題を与えるとオリジナルは1つか2つで,あとはそれをコピーしたものになる傾向があるので,これを防ぐためである。これをもう少し進化させると,1つの電気回路でありながら,数値ではなく,学生に対して問題そのものを変えて課題を出すことができる。その一例を図4に示す。
現在もう1つ行っているのは,学生に演習問題を割り当てるのに,パソコンで乱数を発生させて決める方法である。もちろん,プロジェクタで学生自身にも数字が見える方法で行うのであるが,普段無関心にみえる学生も一緒になってクラスが盛り上がる。このような遊び心を授業に取り入れるのも,たまにはいいのではなかろうか。
また,授業にパソコンを導入することによって,現在の学生の気質の一端が見えてくる。どうも今の学生にはコンピュータ信仰に似たものがあるらしい。少なくとも,人間(教師)よりは信頼しているらしい。前述したパソコンに答えをチェックさせ,パソコンにメッセージを出させると,何回拒否されても学生は文句を言わない。筆者の経験によれば,レポートを3回突き返せば,文句たらたらなのにである。また,前述のパソコンで問題を割り当てる方法を行った結果,全部で15問の問題のうち,1人の学生に5問当たったことがある。教師がこんなことしたら「一体何の恨みがあるのだ」と言って,その学生は怒り出すだろう。しかし,パソコンの出した結果には素直に従うのである。しかも,彼の決して信用してない教師の作ったプログラムが怪しいなどとは夢にも思わないらしい。人間は何度も同じことを言うと疲れてもくるし,嫌にもなる。しかし,パソコンは何度同じことを繰り返しても,疲れない。しかも,学生の信頼は絶大である。パソコンと現在の学生気質を大いに利用すべきである。
授業を活性化させるには,コンピュータを使用するしないにかかわらず,よいソフトウェア作りが大切である。そして,このソフトウェア作りのポイントは,学生に対していかに『意地悪』するかにあると思う。
単に学生にレポートを課すだけでも1つの『意地悪』には違いないが,学生の想像内の『意地悪』では効果は薄い。学生は,教師はレポートを求めるものだと思っているし,そうなれば誰のを見せてもらうかくらいは考えている。友達のレポートを写せないとなって初めてあわてるのである。
筆者の友人の心理学(楽)者によると,人間は微分で効く動物だそうである。つまり,環境に変化がないと感じないそうである。教師皆々が,学校を休むな,勉強をしろ,レポートの期限は守れと言っていれば,学生はそれに慣れっこになってしまう。筆者などは学生に,レポートは出さなければ出さなくてもよい,試験も受けなければ受けなくてもよいと言っている。そのほうが,学生が教師の言葉の裏を考えるようになり,結局は教師の思う方向に向かうようである。学生に対する言動こそ,ソフトウェアの最たるものであると,筆者は考えている。
教師と学生は,いつの時代でもいたちごっこである。授業の活性化は,学生の先を行き,学生の裏をかくソフトウェア作りにかかっている。