• 職業能力開発大学校  海野 邦昭

現在,製造業の海外シフトが進み,また熟練技能者の高齢化と若者の製造業離れが顕在化し,技術・技能が空洞化することにより,次世代競争力の低下を招くと危倶されている。そこでここではこれらの背景をふまえて,技術・技能の伝承はいかにあるべきかということを考えてみたい。

1.技術・技能とそのレベル

技術・技能の伝承を考える前に,残すべき技術・技能とは何かということを検討しておく必要があろう。またその前提となる“技術とは何か”また“技能とは何か”を論じる必要があるので,ここでは物づくりの歴史をたどりながら,それらの役割を検討してみることにする。

従来より,レオナルド・ダ・ビンチは,「科学者か」あるいは「技術者か」という議論がある。またある人は,それらのいずれでもなく,彼は「技能者だ」という。たぶん彼は図1に示す科学,技術および技能がすべて重なり合った“三位一体の物づくり”を1人でしたと考えられる。換言すれば,このことはこれら3つの分野が重なり合う部分のみが,現実の製品として,世の中に送り出されることを意味する。この場合,“技術は制作された物”に,また“技能はその作る過程”に特徴が表れるというが,彼は「自分で考え,自分で設計し,そして自分で具象化した」のであるから,そういえるのである。

図1
図1

従来より,技術・技能の定義に関してはいろいろ説があるが,ここではとりあえず,図2に示すように,「技術は言語系」で,「技能は非言語系」であるということにしておく。しかしながら,技術と技能は,お互いに独立して存在するのではなく,図に示したように,重複して存在する部分が多く,これらを明確に区分することはできない。

図2
図2

次に技術・技能を伝承するというが,どのレベルを対象とするのかということが問題となる。何もかも,伝承しなければならないということではないであろう。この点を吟味するために,まず最初に技能のレベルを考察することにする。

レベル1は,図3に示すように技術・技能を「知っている」あるいは「できる」能力に対応し,基礎技術・技能と呼べる。またレベル2は,「原理原則を知り,かつオペレーションができる」能力であり,そしてレベル3は,「上手にできる」能力である。これらは単能熟練技能,あるいは多能熟練技能の差はあっても,熟達技術・技能とみなすことができる。

図3
図3

次にレベル4は,「応用ができる」能力で,そしてレベル5は,「新しい技術・技能を創造できる」能力で,これらを“創造的技術・技能”と呼ぶことにする。

以上の考察に基づくと,残すべき技能レベルは,少なくとも3~5レベルの範囲といえる。そして日本における大量生産/大量消費型の物づくりから,試作開発を主体とした高付加価値型の物づくりを考慮すると,試作品や一品生産を勘・コツを駆使して,手づくりを基本とした高精度の製品加工ができる熟達技能を有する熟練技能者とともに,新製品の開発に携わることができる創造的技術・技能を有する熟練技能者が重要であり,これらの技能をいかに伝承するかが,今後,問題になると考えられる。

2.熟練技術・技能者の言細と社会的位置づけ

熟練技術・技能を伝承をするうえで問題となるのは,現在,熟練技術・技能者の評価がどのように行われ,そしてどのように社会的に位置づけられているのかということである。熟練技術・技能の伝承を考える場合には,これらの社会的環境を整えることが,最も重要であるからである。

まず技術者の科学技術に関する高度な応用技術能力を有することを国が認定する制度として「技術士」がある。この制度は,米国のコンサルティング・エンジニアをモデルとしたもので,技術士法では,技術士を『技術士の名称を用いて,科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画,研究,設計,分析,試験,評価またはこれらに関する指導の業務を行う者』と定めている。このように技術士は,何か特定の業務に就くための資格というわけではなく,技術的な業務を行うに際しての能力を,技術士という称号により,国が認めているにすぎないのである1)。そのため技術士には,業務上の規制も特権もまったくないといえる。

また技能者に関しては技能検定制度がある。この制度は,技能者の持っている技能や知識を一定の基準によって検定し,公証する国家検定制度である。技能検定には,特級,1級,2級,3級および基礎1・2級に区分され,実施されるものと,等級が区分されていない単一等級として実施されるものとがある。そして特級の技能検定は,管理者または監督者が,通常,有すべき技能の程度とし,そして1級および単一等級は,上級の技能労働者が,通常,有すべき技能の程度としている。また2級は,中級の技能労働者が,通常,有すべき技能の程度とし,そして3級は,初級の技能労働者が,通常,有すべき技能の程度としている。そして基礎級は,基本的な作業を遂行するために必要な技能の程度としている。

次に企業において,その企業独自の評価基準によって実施している社内検定のうち,技術革新による変化が著しい先端的技能や社内の作業工程上特有な技能など,企業の特殊性が加味されるために,国家検定として実施できないものであって,技能振興上奨励すべきものを国が認定する制度として,社内認定制度がある。また国家検定である技能検定制度を補完するために,地方自治体や公益法人が実施する技能審査のうち,技能振興上,奨励すべきものを国が認定する制度として,技能審査認定制度がある。このような技能検定は,比較的,社会的に定着し,技能の振興に寄与しているが,これら検定で評価された技能士も,前述の技術士の場合と同様に,技能労働者の技能の程度を,技能士という称号により,国が認めているにすぎないのである。

このように技能検定は,労働者の有する技能を一定の基準によって検定し,公証する制度であり,労働者の技能習得の意欲を高めるとともに,労働者がその有する技能の程度にふさわしい処遇を受け,そして社会的に評価されることをねらったものである。しかしながら技能士の処遇に関しては,「合格者の処遇に関し法的に明確な規定を設ける」という法的解決論は,産業界の支持が得られておらず,「合格者の処遇問題はあくまで企業内で解決を図るべきもの」とする企業内解決論が,現在も主流となっている。そして企業における技能検定合格者に対する処遇をみてみると,定期昇給の際に考慮するというものが最も多く,次いで昇進の際に考慮するで,昇給や昇進に際し特別の処遇を与えている企業が多い2)。反面,このような特別な処遇は,企業の労務管理上の問題と関連して行われることが多く,広く社会的に知られ,理解されているという状態には至っていない。

そのため,社会的に技能の向上・技能の尊重の気運を醸成するために,卓越した技能者(現代の名工)の表彰,全国総合技能展,技能五輪全国大会,技能五輪国際大会および技能グランプリ等が実施されているが,関係者の努力にもかかわらず,社会的な関心はいま一歩というところで,広く一般に認知される状態ではない。

このように,一般的に,日本の社会では,個人よりも,全体の和が最も重要視され,たとえ技術的な仕事であったとしても,会社なとの所属組織の名のもとで行われることが多く,そして個人の名前が公にされることはほとんどない。そのため技術者や技能者の能力の評価は,一般的に,所属する会社などの独自の基準に基づいて行われており,社会的に普遍化されたものとはなっていないのが現状である。しかしながら,前述のように,熟練技能者が高齢化し,若者の製造業離れが著しい現状においては,技能の空洞化を防止するために,抜本的な対策が必要になると思われる。そのためには,技能士の処遇改善のために法的な措置をとることも1つの方法であるが,まず最初に熟練した技術・技能の重要性を社会的に認識させることがより大切といえる。

このような熟練技能者の資格や社会的な評価等に関しては,ドイツのマイスター制度が有名であるが,技術者の定義に関しても,欧米では,明確にされている。例えば,米国では,Professional Engineer,また英国では,Charterd Engineer,そして欧州諸国では,EUR Ingというそれぞれしかるべき,登録機関の認定を受けた職位として認められた資格が社会制度として成り立っている。そしてその資格を相互に認めあう方向にある。そして技術者は,所属組織とは関係なく,個人として公共に対して責任を持つのが,本来の姿であるという社会的な認識が背景にある3)。そのため物づくりがボーダレス化した現在,個人の責任と権限を明確にしない日本的な物づくりの考え方が,国際的に通用しなくなりつつある。

以上述べたように,日本と欧米とでは,社会的・文化的な背景が異なり,技術者・技能者の社会的位置づけと評価に関する考え方がまったく違うので,今後,日本が国際化するにつれ,この考え方の溝を早急に埋めていく努力が必要といえる。そして国内において,熟練技術者・技能者の社会的な位置づけを明確にし,技術・技能の振興を図っていくことが以前にも増して重要になると考えられる。

3.技能尊重の気運の醸成

次世代競争力を維持するため,優秀な熟練技術・技能者を確保,育成し,技能を伝承するには,魅力ある環境づくりや処遇改善を図ることはもちろんであるが,その前提としての技能尊重の気運を社会的に醸成することが大切である。

技術系に進む子どもたちの多くは,子どもの頃に,何らかの形で,物づくりを体験したという。そのため優秀な技術者・技能者を育成するには,少なくとも子どもの頃から,物づくりを体験し,それに親しむ環境をつくり出すことが,最も基本的な条件である。物づくりが楽しく,そして夢のあるものであるということを実感すれば,この方面に進む子どもたちが多くなると考えられる。好きこそものの上手なれである。

次に社会的に多様な価値観を醸成することである。善し悪しは別にして,戦前は,長男が大学に進学せずに家業を継ぎ,そして財産を相続するのが一般的であり,そして社会的にも,長男として尊敬され,また認められもしていた。そのため多くの優秀な能力を持つ人たちが,いろいろな分野に根をはるという結果をもたらし,多様な価値観を形成したと考えられる。しかしながらこのような古い慣習がなくなり,現在のように,多くの人たちが大学に進学すようになると,学歴,あるいは偏差値による一元的な価値観が社会的に形成されるようになった。その結果,小学校低学年からの塾通いが一般化し,そして偏差値競争に敗れた者は,いわゆる落ちこぼれとして,社会的に置き去りにされるケースが多くなってきた。そのため表面的には,学歴無用論や偏差値教育追放が叫ばれているが,現在のところ,学歴に代わる多様な価値観が広く一般に形成されるには至っていない。また社会的に物不足の貧困の時代から,物余りの裕福な時代に転換した現在,若者が汚い,きつい,危険のいわゆる3Kの職業を敬遠するのも当然のことといえよう。したがって社会的にみて,処遇の改善と多様な価値観が広く一般に形成されない限り,若者の製造業離れは今後も続くと考えられる。

そのためこのような学歴社会とは別の社会的価値観を形成するには,例えばドイツ的なマイスター制度のような方法の導入を検討するのも1つの方法であり,また図4に示す芸術院や学士院と同様の技術・技能院を設立するのも1つの方法と考えられる。

図4
図4

ドイツ連邦共和国では,職業教育法が1969年に可決され,職業教育が,経営者,労働者および国の三者が,計画立案や実施管理に参加すべき公的課題になった。また手工業の事業所を経営できるのは,工業者でマイスターの試験に合格した者だけである。そしてマイスターは,熟練工の資格レベルとエンジニアの資格レベルの間に位置し,量的にみて,最も重要な中堅熟練工のグループを形成するのは,マイスターと技術者となっている。そして旧西ドイツでは,150万人がマイスターとして,また約60万人が技術者として働いているという。また技術者とマイスターの職種は,典型的な昇進の結果得られる地位であり,熟練工としての教育を修了し,数年間の職場経験を持ち,通常は向上訓練を修了していることが前提になっている4)。このようにドイツでは,マイスター制度が社会的に定着し,適切な評価を受けている。善し悪しは別にして,このことは日本の教育制度と根本的に異なる点である。

そのためこれを機会に,多様な価値観に基づく社会を形成することを目的とし,職業教育の根本的な見直しをするのも,技能を伝承するうえでの1つの方法といえる。しかしながら日本人は超保守的といわれているので,日本における社会的な価値観の急激な転換は非常に困難と思われる。そのため当面は,熟練技術者・技能者の社会的な地位の向上と,その振興を目的とした褒章制度の確立が必要と考えられる。現在,卓越した技能者(現代の名工)表彰制度があり,熟練技能者の社会的な地位の向上に寄与しているが,比較的,伝統工芸的なものが多く,圧倒的に多い製造業に関連した生産技能的なものは少ないといえる。

すなわちこのことは,生産技能的なものは,社会一般に評価しにくいという問題があることを示すものである。そのため現在以上に技能検定のような技能評価制度を広く一般に整備し,そしてある水準に達した人たちを技術・技能院に登録し,社会的に処遇するというような抜本的な対策が,技術・技能の空洞化を防止する意味で必要と思われる。また単なる表彰という名誉だけでは,現状の日本をみれば明らかなように,生産技能的なものの評価は社会的に定着しにくく,そして多様な価値観を形成するには,マイスター制度のような法的措置を含む処遇の改善でなければならないと考えられる。ただしこの場合には,マイスターがややもすると,特権階級化,保守化し,新しい技術にアレルギーを示す体質になりやすいという欠点も指摘されているので,その点を十分に注意する必要がある。そして年金の支給のみならず,技能院に登録された熟練技能者が,必要に応じて,企業を定年後も,公的機関で,日本のみならず海外においても後継者の指導ができるような制度も検討する必要があろう。技能の技術化とともに,熟練技術者・技能者の社会的な処遇の改善が,技術・技能の空洞化を防止する重要な課題の1つといえる。

4.熟練技術・技能の伝承方法

熟練技能の伝承に関する方法論については,先端技術を利用して,技能をできる限り技術化し伝承する方法と,後継者の社会的地位の向上とその効率のよい教育訓練に基づく養成とによる2つの方法が考えられる。

前者に関しては,エキスパートシステムの活用など,コンピュータ技術を利用し,積極的に技能を技術に置き換える装置や方法を確立することが大切である。例えば技能振興センターを設置し,前述の技能院に登録された熟練技能者をモデルとして,積極的に技能の技術化を図ることも1つの方法といえる。この場合,コンピュータを利用した技能獲得機器の開発が特に重要になろう。

また後者に関しては,同様にコンピュータを利用した教育訓練支援機器の開発が指摘できる。例えば図5に示すボーイング社のフライトシミュレータ5)やバーチャルリアリティを応用した保全用の危機管理システムなどがこれに該当する。これらの機器を活用することにより,教育訓練が効果的に行われ,熟練技能の養成期間が短縮可能になると思われる。ただしこれらの機器の開発には,多額の資金と長い期間が必要と考えられるので,ぜひとも,国家的なプロジェクトとして,早急に着手する必要があろう。

図5
図5

以上述べたように,コンピュータを利用し,できる限り技能の技術化を図るとともに,熟練技術者・技能者の社会的な処遇の改善を行い,そして次世代技術者・技能者の育成のために,効果の高い教育訓練機器の開発とその指導法の確立を図ることが当面の緊急の課題といえる。

〈参考文献〉

  1. 1) 青葉尭:技術士は技術者の最高資格,期待される高い能力と中立性,NIKKEI MECHANICAL,9,19,1994.
  2. 2) 労働省職業能力開発局編:職業能力評価制度の発展と課題,p.139(3),1991,労務行政研究所.
  3. 3) 今井兼一郎:国際人としてのEngineer育成,ENGINEERS,8,p.8.1993.
  4. 4) 日本カール・デュイスベルク協会編:ドイツの職業教育制度,p.45,カール・デュイスベルグ協会,1991.
  5. 5) 館・広瀬監修/著:バーチャル・テック・ラボ,p.223,工業調査会,1992.
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