本誌は『技能と技術』という表題がついている。『技術と技能』ではいけないのか。なぜなら,一般に技術のほうが技能よりハイレベルと考えられており,多くの企業では「技術職」は大学卒業者対象,それ以外の労働者は「技能職」と位置づけられているからである。
「技能」と「技術」の線引きはどこなのか。職業訓練では「技術」という言葉は使用できないのか,長い間疑問を持ち続けてきた。
最近発刊された宗像元介著『職人と現代産業』ではこの「技能」と「技術」についてその歴史も含め,あらゆる方向からこのことを論じている。
同様な疑問を持つ諸兄に浅学菲才な小生がその感想も含め簡単に紹介する。
日本の技能が世界的に評価される手段として技能五輪がある。以前は日本選手の金メダル数が一番多かったと記憶しているが,最近は韓国をはじめ東南アジアに遅れをとっている。なぜか?
本書では,わが国の技能者の供給源は従来は中卒であったが,それが昭和30年以降,高校進学率の上昇に伴い中卒者は激減し,労働移動が3次産業に集まり,技能労働力の不足が生じていることにその原因があると述べている。このように技能者の量の減少と,技能の質(技能五輪出場年齢(22歳未満)まで中卒者では7年間あったものが,高卒者では4年間の実務期間しかない)の面でも低下は免れず,これらが原因であると納得させられた。
ちなみに91年の大会では金4個,93年は金2個,95年は金4個であった。
「日本人は猿まね上手」と聞いたことがある。本書では,戦後日本は急速に産業発展をしたが,技術面に対しては諸外国から「コピー」が上手で独創性がないといわれている。それは欧米では「技術は科学の応用」とする技術観なるものがあるようで,ノーベル賞の受賞数は日本,ドイツが少ないため,技術があっても科学がないとされている。そのため独創性があるはずがないと評価されているという。しかし,日本の技術力は欧米の技術観だけでは説明できないと論じており,このことについては共感した。
ここでは共存型技術・技能観と融合型技術・技能論に分けて論じていることに興味がわいた。
共存型技術・技能観とは,現場労働者の職業能力=熟練=中核はカン,コツととらえ,技術と区別するものと定義している。
一方,融合型技術・技能観とは伝統的な職人の能力であり,技術と技能を区別しない考え方である。このことの例として,野球では「ホームランを打つ技術」,相撲では「まわしを取る技術」をあげているが,相撲においては技能賞もあり,技術よりも技能と表現したほうが一般に受け入れられる気がする。
「技能者」はモノ作りの担い手という意味で,モノ作りの原点から今日の「技能者養成」について論じている。
技能者の養成の仕方についてドイツ,アメリカ,日本とを比較し,日本は学校制度と企業内教育の“重ね餅システム”として「技術」と「技能」の縦分業体制をとっているとしている。
学校卒業者の多くが無技能で就職しており,技能の習得は企業内教育制度(OJT)に委ねられている。このことは形を変えた「徒弟制度」といえるのではないか。
ここでは労働の内容が変化している中で,職業訓練が今後の生産社会に機能していくには「システム化した能力」と「職人的熟練」の両者に目を配る必要があること,また,いかに技術が進んでも,職人的な熟練の領域のあること,およびそれが通用性という性格を持つことを忘れてはならないと,職業訓練に携わる者に将未の方向性を示している。
誌面の都合で省略するが,これらのほかにも「公共職業訓練の意義に関する一試論」「モジュール訓練の諸問題」「OECD諸国における見習工制度」等,宗像元介氏の博学に敬服したところである。
本書を読んで,「技能」とは“ひとの手によるモノ作りのための継続力”それが熟練という言葉になり職人を作る力になるものであり,「技術」とは“その時々の事象の変化に対応する判断力,決断力”であるということがわかった。
さらに,これからの職業訓練にあたっては「技能」と「技術」の両方の技量を付与させるべきと痛感した。
職業訓練に携わる諸兄には本書『職人と現代産業』をご一読され,宗像元介氏の技能についての考え方に触れられることをお薦めしたい。
本書の購入については,「技術と人間」社より定価2500円で発行されており,近くの書店でも取り寄せられるが,下記に注文すると安く購入できるのでご紹介しておく。
TEL 0427-63-2764