派遣前研修で名乗りあってから2年半,メキシコ職業技術教育活性化センターでともに勤務した黒木猛氏のご指名で今回登場いたしました。
彼のモットーは「理屈をこねても実際できなければ意味はない,できること,することが重要だ」であり,これを常々実践していたし,今もしているであろう。また,パソコン音痴の私に部品を購入させ,DOS-V機を組ませたのも彼である。「よく知っている・できる」人は往々にして,用語を多用して煙に巻いたり,面倒くさがったりするものである。私のようなパソコン昔痴族には問う人もなくますます音痴になっていく。私の的外れな質問にも,懇切丁寧に,諦めず,挫けず,使える?ようになるまで,つき合ってくれ非常にありがたかった。
そんな事情で断りきれずリレーを引き継いだが,困った,話題がない。メキシコよりポリテクセンター京都に復職してすぐ50歳の誕生日を迎え,「人生」半世紀を過ごしたことになった。何の特徴もない平凡な道であった。ただ40歳からの10年で3回,計5年8ヵ月を海外で暮らし,大病もせす,無事帰国できたことは特技といえばいえそうなので(単に幸運であっただけ?),海外における生活について誌面の許す限り話してみたい。
異国に暮らす場合はまず言葉! これは現地に着いてから。出発前に覚えるのは数字と「あれ,これ,それ」と「いくらですか」。到着時から必要になる。これくらいはできないと辞書を片手に買い物ということになる。初めて出かけたホンジュラスでは,到着が金曜日。土・日を1人で過ごすこととなった。飯を負うにもメニューが読めず,何が出てくるかはお楽しみ。指差すのみで注文。翌朝からは近くの店で「あれ,それ」「いくら?」を使ってパンらしき物と飲み物を買い,何とか飢えをしのいだ。その後はスーパーを見つけた。方式は日本とほぼ同じ。しゃべれなくても最低必要品は手に入った。後は辞書と身振り手振りで過ごすのみ。少しずつ語彙は増える。
衣・食・住,私はあまり執着はなくそれほど困らなかった。ただ,「朝食は,熱いご飯と味曽汁,パンと牛乳なんかで…」「ベッドで寝るのはどうも…,やっぱり布団でなきゃ落ち着かん」という方には少々きつい。ただ現地で採れる果物は安くて旨い。どんどん食うべし。メロンが旬には30円程度,食いすぎ。日本に帰ってからメロンが出ても心動かず。
さて,その次は観光・探検・買い物(ウインドーショッピングも含め)。町をうろうろ,下町ごそごそ,したくなる。置き引き,強盗,誘拐,殺人,何でもあり。「気楽にふらふらどこにでも行って…,危ないよ」とよく言われた。しかし,私なりに気は使っていた。「その町の中流タイプから少し下の程度に衣装を合わせる」「カードと大金は持たない」。メキシコでは現地人でさえ敬遠する一角に何回も足を踏み入れたが,おかげでごろつきに引っかかることもなかった。人は「日本ヤクザには誰も近づかん」というが,私はあくまで「やり方・心がけ」がよかったからだ,と言いたい。
そろそろ誌面も終わり,メキシコで育った「たまごっち」ではなく,メキシコで子育て1年生を始めたゴトッチこと後藤豊氏にバトンタッチします。
よろしく。