ポリテクセンター京都の飯出和寛さんからの紹介で,今回は,私がこのコーナーに載ることになりました。飯出さんとは,2年前,当時の職場であるポリテクセンター兵庫で一緒に働き,また,しょっちゅう一緒にタ飯を食べに行ったりしていた仲です。彼の爽やかなのにそれでいて味のあるキャラクターには,いつも感心させられました(いつかガツンと飲みましょう!)。
さて,話は変わりますが,私はコンピュータが好きです。でも,微妙なところでは,そうではないんです。最近になって特に,このコンピュータに対する気持ちが変わってきました。もしよければ,この不思議な気持ちを聞いてください。
コンピュータといったら,今まさに注目の的。Windows97がでるとか,MMX Pentiumがどうのこうの,常に話題にのぼっています。私も,コンピュータがこれからどうなってしまうのか動向が気になります。
私の場合,Window95のようなかっこいいデザインの画面,それだけでも,とても楽しくなります。そしてインターネット,これも,世界中のホームページを見ることができるところや,メール(電子郵便)によって世界の人たちと文通できるところ,そしてご存知の方も多いとは思いますが,ネットミーティングなどでは知らない外国の人とも声で(文字や画像も合わせて)お話ができてしまうところ,これらはもう楽しさを超えて,ものスゴイとしか言いようがありません。新しい世界だけに,今までになかった感動があります。特に新しいもの好きの私としては余計にたまらないところです。
確かに,コンピュータは人間のためのすばらしい道具です。ですから,都合がいいのなら使ったほうがいいのですが,そうでないのなら…というもの,なにか苛立ちを感じさせる部分があるような気がしてならないのです。
コンピュータを人にたとえるのなら,こんな感じでしょうか。頭脳明晰でアイコンの並びやディスク中のファイルをいつもきちんと整理整頓しているきれい好き,というより最近では抗菌もしているらしいので,異常な潔癖症の名がふさわしい人。そして,(全文をワープロで打った年賀状にみられるような)ほとんど個性がなく,無表情で無感動な人。さらに,他人のあいまいさを許さない非情な合理主義者(でも,かわいい声で怒るよ)。皆さんはどう思われるのでしょうか?
コンピュータを多く使うようになってきて恐ろしいと思うのは,ふと我に返ってみると,なんとなく自分がコンピュータっぽい性格になっているところです(すばらしい道具,コンピュータ様にマインドコントロールされているのかもしれない)。
今はまだコンピュータの設定がうまくいかなかったり壊れたりするので,まだ客観的に見られるすきがある分いいのですが,そのうち完璧なコンピュータ様に気づかぬうちに使われるようになってしまうのなら,私はゴメンですね。しかし,コンピュータがくりひろげる夢の住人になってしまい,ややこしい衝突などない毎日を過ごせるのなら,それはそれで幸せなのでしよう。
そういえぱ今日,銀行の払い戻しの機械の前で,もたついていると,「お金を早く取れ!ピィピィ」とコンピュータに怒られてしまいました。いやでも,なってしまうコンピュータ社会,今までの普通が普通じゃなくなってしまうかもしれません。これからどうやってつき合っていけばいいんでしょうね? 私は,なるべく柔軟な考え方を持てるように,いろいろなことに興味を持ち,挑戦していきたいと思っています。よくわかりませんがそれが答えになるような気がするんです。
さて次回ですが,ポリテクセンター兵庫の吉田真理さんにリレートークのバトンを渡したいと思っております。彼女とは昨年度ポリテクセンター兵庫でともに楽しく働いた仲間です。いったいどんなことを書いていただけるのでしょうか? 楽しみですね。