私たちが,当校の立地している香美郡野市町の隣町である赤岡町とかかわりを持つようになったのは,ちょうど2年前,1期生である得丸成人君が卒業研究のテーマを模索している頃である。当初彼は香美郡の観光案内をテーマに,いろいろな名所や祭りを調べていくなかで,毎年7月に行われている赤岡町の絵金祭りを取材していた。そこで,赤岡町田舎保研究会の片岡さんと出会い,「町のためにぜひとも若者の力を貸してほしい」と請われて町の活性化のお手伝いをすることとなった。その後,2期生である竹崎洋平君が引き継いで,町民とのコミュニケーションを密接にとりながら,イベント企画,宣伝広告,商品開発等の面で協力を続けた。
今回,2年間にわたる1期生,2期生の卒業研究を通して,町おこしを目的とした赤岡町とのかかわりについて報告する。
赤岡町は,高知市から東へ約20km,県のほぼ中央に位置し,東は香我美町,西は吉川村,北は野市町に境を接し,南ははるか太平洋が開ける,総面積1.7k㎡の県下で最も狭い町である。沖合いから一帯が赤く盛り上がった丘のように見えたことから,赤岡と呼ばれるようになった。かつては,「香南*1の商都」と呼ばれ,香宗川,物部川上流を背景に,平坦な地形だったこともあり,人や物の流通が盛んで商業が栄え,産業,交易の中心地として賑わった。
しかし,陸路の開発により商品の流通が活発になると,しだいに県の中心である高知市に需要者が吸収されるようになった。現在も商業が中心の赤岡町であるが,近郊に進出する大型量販店の影響で商店街の客足は遠のく一方である。後継者不足にも頭を悩ませている赤岡町商店街は,衰退の一途をたどっている。
しかし,幸い赤岡にはドロメ*2という独特の特産物や先人の培ってきた歴史,文化がある。今や全国から注目されている特異な個性あふれる赤岡二大祭りの「どろめ祭り」「絵金祭り」を足がかりに,何とかして町おこしをしようという動きがある。
*1 赤岡町・香我美町・夜須町・野市町・吉川村を総称して香南五ヵ町村という。
*2 ドロメとは,マイワシ・ウルメの幼魚で,高知県の代表的な珍味である。
毎年4月最終日曜日に,赤岡町の浜辺で開催される。太平洋を舞台に地引き網でとれたてのドロメを肴に,全国から名だたる酒豪たちが集まり,大杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干す「一升酒早飲み大会」はどろめ祭りのメインイベントである。
絵金祭りは,毎年7月の第3土・日曜日,宵やみ迫る頃,絵金(1812~1876)がこの世に残した数十点の芝居絵大屏風の最高傑作を一堂に集め,町の通りに立て並べられ,昔ながらのローソクと祭り提灯の明かりで楽しむという大変珍しい祭りである。
また,町内は歩行者天国になり,露店やビヤガーデンが店開きし,音楽ショーや仮装行列など多彩な催し物がある。毎年全国からの熱烈な絵金ファンの旅行者を迎えている。
絵金とは,幕末土佐の浮世絵師金蔵の通称で,文化9年,高知城下の髪結いの家に生まれ,幼少より画業に志した。18歳より3年間を江戸の前村洞和に学び,洞意の号を得て帰国し,狩野派御用絵師となった。その後異例の出世と才能を妬まれ,探幽偽絵描きの汚名のもとに,高知城下を追放される。それより謎の歳月を経て,絵金と呼ばれる町絵師として復活し,夏祭りの景物の芝居絵屏風に独自の画境を拓いてもてはやされた。65歳で亡くなる。
全国各地で村おこし町おこしという名のもとで,イベントや特産品を生かした商品開発等が行われているが,あまり成功例が聞こえてこない。短期的に成果が現れるものではなく,一時的に盛り上がったにしてもそれを継続することは大変難しい。
また,商業が中心となる赤岡の場合,全国的にも問題になっている大型量販店の影響による商店街の衰退が,そのまま町の活力を失わせているといっても過言ではない。専門家でも難しいこのテーマに,町民にとっても,私たちにとっても確実な解決策はなく,町民の中にもやはり,町を何とかしようという推進派と無関心派があるのも事実である。
そんななかで推進派の赤岡町商店街の方々を中心に「とにかく何かをやってみよう」精神で,みんなが一丸となって手探り,手作りながら町の中から波紋を広げていくことを目的に行動していった。
両学生の指導にあたって,必ず心がけさせたことは以下の3点である。
○まず赤岡町を知ること
赤岡町に関する文献などから,歴史や現状特性などを把握する
○町民と常にコミュニケーションをとること
町内会,イベント等にも積極的に参加する
○できるだけ幅広い層からアンケート調査を行い分析すること
・消費者,来訪者は何を求めているのか
・企画したこと,制作した物に対しての評価
赤岡二大祭りである「どろめ祭り」「絵金祭り」は,それぞれ4月と7月に行われるが,秋から冬にかけての行事や催し物がない。そこで,冬にも客を呼び寄せられるようにということから,平成7年9月,町内にて会合がもたれ,だれでも気軽に参加できるフリーマーケットを中心としたイベントの開催が決定した。
その後,赤岡フリーマーケット実行グループが発足され,得丸君もそのメンバーとなる。そして,冬でも夏祭りの賑わいを取り戻したいと願いを込めて「冬の夏祭り」と銘打った。
奇抜な新しい趣向を盛り込み,かつ懐かしさを漂わせるようなイベントにしたいということから,テーマは「奇抜で古風」とし,会場は赤岡横町商店街,開催日は平成7年11月25・26日(土日)に決定した。
内容は,フリーマーケット,屋台,餅つき,ストリートロッカー(弾き語り)などがある。また,商店街もイベントに伴い大売り出しとする。メインをフリーマーケットとした理由として,以下のようなことがあげられる。
・マーケットの開放
(地域,年代,性別を問わず人を集める)
・ふれあいを大切にし情報チャンネルを拡大する
(商店主にとって消費者が何を求めているかや時代のニーズを学びとる場となる)
・町外へも積極的に出店者を募ることで,交流の輪を広げる
・だれでも商店主になれるという楽しみがある
企画からかかわってきた得丸君は,以下のような宣伝広告部門を担当し制作した。
◎出店者募集用ポスター・チラシの制作
◎宣伝用ポスター・チラシの制作
◎横断幕の制作
◎STAFFバッヂの制作
当日は,町有駐車場など2ヵ所に町内外から集まった50を越える小間が並んだ。古着や手作りの小物を売る店が中心だが,商店街も大売り出しということもあり,連日大盛況であった。
冬の夏祭り終了後,赤岡町内外において約1ヵ月間,年齢,性別を問わずアンケート調査を実施し,160名の回答が得られ,次のような反省点があげられた。
今後この「冬の夏祭り」は,赤岡二大祭りのような一過性のイベントにとどまらぬよう,日曜市のような周期的なものとなるのが望ましいだろう。しかし現段階においては,場所や人材など難しい問題が山積みである。
平成8年度,得丸君に引き続き,竹崎君が卒業研究を通して赤岡町のお手伝いをすることとなった。彼の取り組みは3つに大別することができる。
若者にも好まれるようなデザインとし,バックプリントに絵金が描いた芝居絵屏風の代表作『伊達競阿国劇場(だてくらべおくにかぶき)』の中の男性をモデルにした。また,フロントプリントに「TOSA AKAOKA」とワンポイントを入れた。これは実際に商品として販売され,好評を得た。
商店街の方々とともにTシャツ,のれん,うちわ,コースター等の印刷をした。
ディスプレイとして絵金芝居絵屏風の代表作『浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森』の中の人物を立体的に表現した。
絵金の町赤岡をもっとアピールし,町民の心を1つにするために,「金蔵くん」というキャラクターを提案した。これは,一見恐そうなイメージのある絵金を,女性や子どもにも受け入れられるようなマスコットとしてデザインした。
このキャラクターの利点は,いろいろな商品や広告などに活用できることである。実際にTシャツ,イベント用フラッグ,ポイントカード,ポスター,新聞折り込みチラシ等に採用され使用された。
このデザインは,平成8年末より赤岡町で導入されたポイントカードに採用された。
それに伴い,11月29・30日に商店街にて,「絵金カードオープニングセレモニー」が盛大に行われた。
前年度に引き続き,「冬の夏祭り」が平成8年11月16・17日に開催された。今回のテーマは「アジア」とされ,竹崎君は宣伝広告部門を担当し,宣伝用ポスター,出店者募集用チラシを制作した。
これらの卒業研究を通して,彼らの得たものは,多大なものがあったと確信する。各々が,ほぼ1年を通じて赤岡町の方々と接し,人間関係がどんどん希薄になっていくこの世の中において,町民の熱い人情に触れられたこと,1つのことにみんなで力を合わせて成し遂げた達成感。時には,大人と大人の板挟みになったことも今ではいい経験になったと思う。依頼者側とうまくコミュニケーションをとりながら,自分のデザインした広告や商品が世に出たことは,またとないチャンスであった。これこそデザイン教育においての実践である。彼らは,卒業後も赤岡町の方々と親交を深めている。
彼らの行ったことが,直接,町の復興につながったとは思えない。しかし,町の中から少しずつ変化が現れてきたのは確かだ。若者のデザインしたものが出回るようになって,若者にも目を向けるようになったことや,消費者に耳を傾けるようになったことである。
また,今年もシルクスクリーン印刷のお手伝いをしたが,色に対して,製品に対してのこだわりが出てきたことである。印刷技術が向上したのももちろんだが,昨年は,白地に黒色のインクでといった単純な色使いだったのが,今年は赤岡町の方々自らがインクの色を混ぜ合わせ,シックなものやカラフルなもの等,いろいろなバリエーションができたことである。何よりも,みんなが楽しんでチャレンジしていたことは大きい。
今年,近隣に高知工科大学も開校し,衣食住をふまえた若者に魅力を感じさせる町づくりがますます求められている。町では今さまざまな問題点を打開すべく「赤岡町総合振興計画」が長期計画として進行している。そして「全町公園構想」も提案されており,これからの赤岡町が楽しみである。私たちも微力ながら今後も応援していきたい。現在,3期生である坂井博史君が,彼らとは違ったアプローチで卒業研究に取り組み,赤岡町のお手伝いをしている。